新聞や教科書では、この動詞が「はい寄る」と印刷されていることがあります。前半だけ仮名、後半だけ漢字。読みにくいと感じる人は多いはずですが、これは校正の怠慢ではなく規則の結果です。常用漢字表は日常の文章で用いる漢字の目安として定められたもので、二千字あまりを収めています。そこに入っていない字は表外字と呼ばれ、公的な文書や多くの報道機関では、仮名に開くか、言い換えるか、ふりがなを添えるかの三択で処理される。この動詞の前半の字は、その表外字にあたります。
交ぜ書きが読みにくいのには理由があります。日本語の表記は語の切れ目を空白で示さないぶん、漢字と仮名の切り替わりが境界の標識として働いてきました。漢字が語幹を、仮名が活用語尾や助詞を担う——この分業が崩れると、目は単語をひとまとまりとして掴めなくなります。しかも二拍の仮名は同音の候補が多く、灰・杯・胚など別語の入口と一瞬だけ競合する。読み速度の落ち込みは、ほんの数十ミリ秒でしょう。それでも一段落に何度も起これば、文章の体感速度は確実に変わります。表外字の扱いには、そもそも三つの立場があります。仮名に開いて読みやすさを取る、ふりがなを添えて字を残す、別の語に言い換えて問題ごと回避する。三番目は最も安全ですが、言い換えた先の語が同じ意味を持つとは限りません。接触しながら近づくという含みは、代替候補のどれにも完全には移らない。表記の都合が語彙の選択を侵食する場面です。
送り仮名にも揺れがあります。複合動詞の前項を漢字で書く場合、送り仮名の付け方には規則があり、活用語尾を送るのが原則です。それに従えば前項は二文字目まで含めて書かれる。一方、後項をあえて仮名にした書き方も見かけます。同じ語に三通り四通りの姿があり、どれも間違いではない。書籍では出版社ごとの表記統一基準が働くため、同じ作家の同じ語が版元によって違う姿で印刷されることも起こります。web上の連載では、この統一を作者自身が引き受けることになります。何十話も書き進めてから表記を変えると、過去分との不一致が残る。決めるのは早いほうがよく、決めた内容はどこかに書き留めておくほうがよい——地味ですが、長編ではここが崩れやすい。
さらに時間軸を遡ると、仮名遣いそのものが違いました。歴史的仮名遣いでは、この動詞の語幹はハ行で書かれます。語中のハ行音がワ行の音として読まれるようになる変化は平安期に進んだとされ、発音が先に動き、表記が後から追いかけた。現代仮名遣いが一九四六年に告示されるまで、書かれた形と読まれる音の距離は残り続けます。表記というのは、常に発音より遅れて更新されるものだと考えると、いま目にしている交ぜ書きも、規則と慣用のあいだにできた同種の時差の一例に見えてきます。
小説の書き手には、報道機関のような表記制限がありません。表外字をそのまま使えるし、ふりがなも自由に打てる。ただし選択は文体の一部として読まれます。全面的に漢字で押すと画面が黒くなり、湿った質感や粘りが視覚的にも出る。仮名に開けば軽くなり、速く読める代わりに、動作の生々しさは薄れる。ふりがなを一度だけ打って以降は漢字のまま通す、というのが多くの作品で採られている折衷です。恐怖の場面でこの語を選ぶなら、周囲の文字面も見ておくとよい。前後三行が仮名ばかりのところに漢字を二つ立てると、その二字だけが紙面から浮き上がって、読者の目は否応なくそこで止まります。表記は意味を運ぶだけでなく、視線の速度そのものを設計している。