手稿の段階で「引寄せる」と書くか、「引き寄せる」と書くか、あるいは「ひきよせる」と開くか。送り仮名の幅は、動詞のどの部分を語幹とみなすかの判断でもあります。現行の慣用では「引き」を送り、「寄」を漢字に残す形が目に馴染みやすいようです。馴染みは、教科書と新聞が長く選んできた表記の慣性です。慣性が強い語ほど、逸脱した表記は意図的に見えます。意図的に見せたい古風さや、子ども視点のひらがな開きは、その慣性を前提にして初めて効きます。前提を共有しない読者には、ただの揺れに見えてしまいます。
制度の側も、この幅を公認しています。送り仮名の付け方についての内閣告示には、複合の語について、読み間違えるおそれのない場合には送り仮名を省いてよいという許容が置かれています。本則は送り仮名を残す形で、省いた形はその許容の側にある。二つの表記は正誤の関係ではなく、本則と許容の関係で並んでいるわけです。実際、日常的に繰り返される語ほど送り仮名は落ちていて、取扱、割引、申込といった名詞は、掲示や帳票の上でほとんど漢字だけの形に固まりました。表記は使用の頻度によって摩耗する。動詞のままではあまり縮まないのに、名詞に変えたとたんに縮みやすくなるのも、名詞のほうが看板や見出しに載る回数が多いからでしょう。摩耗の進み方は語ごとに違うので、同じ告示の下でも、実際の紙面には濃淡の差が残り続けます。
漢字の選択も意味の焦点を微調整します。「引く」は力の方向——手前へ——を明示し、「寄る」は対象の移動結果を示します。二字が複合することで、遠隔から近接への変化が動詞一語に収まります。収まりがよいため、物理のロープにも、注意や人気の比喩にも載ります。比喩に載るとき、表記が漢字のままだと力の像が残り、ひらがなだと動作の柔らかさが増します。恋愛場面で漢字を続けると、牽引という語に近い硬さが出ることがあります。硬さを嫌うなら、一部を開くか、別の動詞へ逃げます。逃げる判断も、表記史というより、現行の視覚的な印象への対応です。
字面の濃さは、数えることもできます。引き寄せる、は表記上五字。ひらがなに開いても、ひ、き、よ、せ、る、で同じ五字です。減っているのは字数ではなく、行の上の黒みのほうだった。漢字を二つ含む形では画数の塊が二か所にでき、視線がそこで二度引っかかります。全部を仮名にすると引っかかりが消え、五字がひと息で滑る。送り仮名を省いた形だけが四字に縮み、字数と黒みが同時に変わります。読みの速度に効いているのは字数よりも引っかかりの数のほうで、だから開くか閉じるかの判断は、行の長さではなく視線の停止回数で考えたほうが当たります。縦組みでは字面の濃淡が一列の中でそのまま見えるので、差はさらにはっきりします。
歴史的仮名遣いや旧字体まで遡る必要は、現代の創作では多くありません。必要なのは、同一作品内の一貫性です。地の文は「引き寄せ」、台詞は「ひきよせ」、手紙は「引寄」と、位相ごとに分けるのはあり得ます。分け方を決める前に混ぜると、校正の負担と、読者の不信だけが増えます。不信は小さなものでも、動詞のたびに意識が表記へ逸れると、場面の運動エネルギーが落ちます。落ちないための最低条件は、視点ごとに表記の方針を一文で言えることです。言えたら、あとは機械的に守れば済みます。
形態素の境目が見える表記は、意味の分解も促します。「引き」と「寄せる」に読めるため、力の主体と、寄る側の受動性が同時に立ち上がります。誰が引き、何が寄るのか。他動詞の項が二つあることが、字面からも思い出しやすくなります。思い出しやすいと、項の片方を省略した文——「引き寄せられた」——が、省略された主体への問いを自然に生みます。問いが生まれるのは文法の効果ですが、表記が複合を可視化していることも一助になっています。一語に見えて二動作であることが、この動詞の表記的な利点です。
創作実務では、ルビや中黒は基本的に不要で、揺れだけが敵になります。敵を減らしたうえで、どうしても視線を止めたいときだけ、ひらがな開きや分かち書きを使います。止め方としての表記変更は、音や改行と同じくらい強く働きます。強い手段は、章の転換や、身体接触の瞬間など、運動のピークに限ると効きます。ピーク以外で表記をいじると、技巧が内容を追い越します。追い越さない範囲で送り仮名を安定させれば、この動詞は手前へ向かう力の線を、ページの上にも確かに引きます。