仕立屋が一枚の布を持ち上げて「こんな色です」と言うとき、指しているのは布そのものだけではありません。その色に似た一群を、目の前の一例から立ち上げています。日本語の指示語には、話し手に近い「こ」、聞き手側の「そ」、双方から遠い「あ」、不明の「ど」という系列がある。「これ・それ・あれ・どれ」や「ここ・そこ・あそこ・どこ」と同じく、様態を表す四語も一組を作ります。語頭の一音が、ものの位置だけでなく、知識や心理の距離まで整理しているのです。直前に自分で語った計画を「この種の案」と呼べば、紙が手元になくても「こ」が使える。言語上の近さは、物差しで測る距離より広いのです。
古くは、状態を指すのに「かく」「かような」「このような」といった形が使われました。現代の短い形は「このような」に相当する口語的な表現として定着し、近世の俳諧にも用例が確認されています。辞書に記録された最初期の例は、語がその年に誕生した証明ではありません。書かれる以前に会話で育っていた可能性を残すからです。大切なのは、長い句がただ音を落として縮んだ、と一本の式で決めつけないことです。指示語の歴史には、似た形どうしの影響や話し言葉での組み替えが起こるからです。ただ、「こ」が話し手側を受け持つことと、全体が様態を名詞へ結びつけることは、古い表現から現代まで連続している。短縮は音だけでなく、文法の部品を見えにくくします。
語末の「な」も興味深い働きをします。「静かな庭」の「な」に似て、後ろの名詞へ橋を架けるため、この形をそのまま名詞に添えられる。一方で「事情がこんななのに」のように、接続表現の前では「な」が重なった姿も現れます。最初の語全体を一枚岩の語幹として扱い、次の「な」が文法上の接続を担うと考えれば、奇妙に見える反復にも秩序があります。また「こんなの」と言えば、「もの」などの名詞を出さず、様態だけで対象を受け直せます。短くなった形は、さらに別の省略を呼び込めるのです。語の来歴は化石の発掘に似ています——ふだん隠れている継ぎ目が、特定の形のときだけ表面へ出るのです。
漢字を当てるなら「斯様な」が近いものの、これは普通「かような」と読みます。「斯く」は「このように」という意味を担う古風な語で、「かくして」「かかる事情」の中にも親族が残っています。だから時代物で「斯様な」と書けば、意味は近くても声の年齢が変わる。商店の子が口語形を使うのと、書状の主が「斯様な品」と記すのでは、対象が同じでも人物と時代が違います。「かかる」は目の前の形より、すでに述べた事情を硬く受ける文脈に似合います。字源的な近さを、そのまま交換可能性だと思わないこと。表記には語義のほかに、使用域の履歴が付着しています。
小説では、この語が作る「近さ」を具体的に決めると場面が締まります。手の中の証拠を指すのか、直前の惨事をまとめるのか、まだ形のない理想を身振りで示すのか。人を受ければ一人を分類の見本にし、「これほど」の意味で使えば程度の目盛りをその場に置く。視点人物が交替すれば、同じ対象でも「そんな」へ移ることがある。指示系列はカメラの置き場所を耳で知らせます。軽蔑も驚嘆も、語そのものに固定されてはいません。指示対象と声色が評価を注ぎ込みます。短い形の背後にある「こ」の近接性と「様」の分類性を意識すれば、漠然とした口癖が、人物の世界の切り分け方を示す一語へ変わります。