寄り添うような

【よりそうような】形容詞句

使い分けの視点

「寄り添うような」は実際の接触を言い切らず、触れない近さや非対称な支えを描く比況です。抱くほど強くなく、並ぶより体温を含む位置を選べます。誰が寄り、誰が動かないかを具体化し、抽象的な善意だけで済ませません。

同義語

同品詞の類義語

添い遂げる文芸的
傍らにある文芸的
並び立つ文芸的
肩を並べる

類義句

同品詞の慣用的言い換え

肩を寄せ合う
心を合わせる
傍らに腰を下ろす文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

影が並ぶような文芸的
肩に手を添えるような
二つの灯が並ぶような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

そっと
肩を並べて

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

傍らに立つ
心を共にする文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

並走の趣文芸的
近接の気配文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

影同士が触れるような文芸的
並走する灯のような文芸的
袖が触れ合うような文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

触れない近さエッセイ関連

例文: 触れない近さを保った二脚の椅子が、長い看病の夜を静かに支えていた。

触れずに触れる位置——接触の語が比喩へ移るまで

「添い遂げる」という言い方を、結婚式の挨拶以外で聞くことがほとんどなくなりました。使われる場所が儀礼に限られている語は、意味が固まる代わりに、日常の中で動けなくなります。同じ動詞を含む「連れ添う」も似た位置にあって、老夫婦を指すとき以外にはあまり出てこない。ところが「寄り添う」だけは違う棚に残っていて、恋人にも、家族にも、犬にも、音楽にも使える。同じ「添う」を抱えているのに、片方は儀礼へ退き、片方は広がった。この分かれ目がどこにあったのかを見ていきます。

古い層では「添う」は、そばに付く意から進んで、夫婦になる意まで担っていました。「連れ添う」や「添い遂げる」が婚姻の語彙として残っているのは、その名残です。一方「寄り添う」は、寄るという動詞をもう一つ重ねた複合で、寄るも添うも近づくことを言うので、意味が半分ほど重複しています。重複は語を鈍らせます。焦点がぼやける代わりに、どの方向にも伸びられる。婚姻という一点に縛られた語と、近づくという一般的な形だけを残した語とで、その後の伸びしろが変わった——分かれ目の一つは、複合の作り方そのものにあったのだと思います。

同じ「寄る」を前に置いた複合動詞を並べてみると、評価の割れ方が目につきます。立ち寄る、駆け寄る、近寄る、擦り寄る、忍び寄る。近づくという一点では共通しているのに、擦り寄るは打算を、忍び寄るは危険を連れてくる。近づき方を限定する前の要素が、そのまま評価の符号まで決めているわけです。ところが「寄り添う」の前部要素は「寄る」そのもので、近づき方について何ひとつ足しません。速さも、姿勢も、意図も指定されない。無色であることが、この語を無害な位置へ置いたのだと思います。悪い意味では使いようがない複合動詞というのは、数えてみるとそう多くありません。

もう一つは、近代の小説が身体の距離を書く語彙を選び直した時期にあります。言文一致以後の口語体で、人物と人物の物理的な近さをどう書くかは、意外に選択肢が少ない。「抱く」「触れる」は強く、性愛の含みを避けられない。「並ぶ」「座る」は近さを数値で示すだけで、体温が出ない。「寄り添う」は、接触を描きながら性愛の側へ倒れない、かなり珍しい位置に落ち着きました。だから恋愛の場面でも、看取りの場面でも、幼い姉妹の場面でも同じ語が使える。汎用性は美点として獲得されたというより、他に代わりがなかった結果に見えます。代役として呼ばれた語は、たいてい後から働きすぎることになります。

その汎用性が、いまは磨耗の理由になっています。近年は支援や介護の文脈で決まり文句として定着し、態度を表す抽象語として使われることが増えました。物理的な近さを一度も想像させずに通り過ぎていく用例が多い。ここで、だから使えない語だと結論したくなるのですが、それは早い。この動詞は主語を二つ要求するのに、二つが対等である必要はありません。片方だけが寄り、もう片方は動かない。寄られた側が気づいていない。定型句が塗りつぶしているのは、この非対称のほうです。

磨耗の仕組みは、主語の席を見るとはっきりします。決まり文句として現れるとき、そこに座っているのはたいてい組織や制度です。住民に寄り添った施策、地域に寄り添う事業——組織に体はありませんから、縮めるべき距離も、傾ける肩もない。身体の比喩でありながら、身体の側が空席になっている。空席のまま成立する語は、便利であるぶん、何も述べていなくても文として通ってしまいます。批判されやすいのは、態度を表明しながら、その態度が何をするのかを一切指定しないからでしょう。裏を返せば、この語を生かす手は決まっています。寄る側の体を、必ず一つ書く。誰の肩が、どちらへ、どれだけ傾いたのか。

そして連体形にした「寄り添うような」は、比喩の形式である以上、実際には寄り添っていないことを示します。似ているだけで、触れてはいない——接触を書くために選ばれてきた語が、接触していない状態を書くための道具になっている。声を「寄り添うような」と形容するとき、声と体のあいだには距離があり、その距離があるからこそ近さが言える。見立てる相手は、声にかぎりません。灯り、雨脚、伴奏、話の運び——どれも体を持たないものばかりで、比喩の底には最初から接触がない。婚姻を意味した動詞が数百年かけて到達したのは、触れずに触れる、という書き方の位置でした。

文: hakadoru.ai 編集部

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