その

【その】連体詞

使い分けの視点

「その」は、聞き手の側、あるいは直前の談話に属するものを限定します。自分の側なら「この」、双方から離れれば「あの」——この選び分けは、空間の座標に聞き手との関係を編み込みます。前に述べた内容を指す働きもあり、制度の文章では長い文を短く再参照します。人に向ければ、名を避け、心理的に手放すしぐさまでも含みます。短縮の記号ではなく、話し手・聞き手・対象の三者を配置する語として置くと、二文字が場面の空間と履歴を同時に支えます。

同義語

同品詞の類義語

件の文芸的
例の
当該の文芸的
当の

類義句

同品詞の慣用的言い換え

話題の
問題の
先述の文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

他ならぬ件の文芸的
まさにその
他でもない文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

あの人エッセイ関連

例文: あの人、と呼ぶ声には、もう手の届かない場所へ置いた響きがあった。名を呼ばないことが、別れのあとの距離を保っている。

その人エッセイ関連

例文: その人、と言ったきり、彼女は窓の外を見た。名を呼ばない優しさがあることを、俺はそのとき初めて知った。

二人の間に置かれた指先——「その」の社会史

話し手が持つ本は「この本」、聞き手の手元なら「その本」、両者から離れていれば「あの本」と呼ぶ。日本語のコ・ソ・アの体系は、空間を話し手だけの中心から測らず、聞き手との関係も組み込みます。「その」は相手側、または直前の談話に属するものを名詞の前で限定する連体詞です——小さな指示語の歴史には、会話が一人の座標ではなく、二人以上の共同注意から成るという仕組みが残っています。ただし実際の配置は物理距離だけで決まりません。話し手の目の前にあっても相手が管理する書類なら「その書類」と言える。所有、知識、心理的な領域が空間の区分へ重なります。

古い日本語にもコ・ソ・ア系の指示はあり、時代ごとに形や使い分けを変えながら現代へ続いています。写本、書簡、会話では、指差しの場が目に見えないため、何を受けるかが文脈に依存します。近代の口語文や会話文が広く印刷されると、対面の指示を紙上で再現する技術も重要になりました。読者は登場人物の位置を想像し、誰の側を「そ」と呼んだかから場面を組み立てます。指示語は辞書的な距離表であると同時に、語りのカメラ位置を知らせる部品です。相手側を指す一語が、視点の配置を可視化します。広告の「その悩み」のように、見えない多数の読者へ相手側の領域を仮定する用法もあります。対面の聞き手がいなくても、近代的な大衆媒体は読者を二人称の位置へ置ける。指示体系が、想像上の会話空間を作ります。

制度的な文書では「その理由」「その結果」のように、前に述べた内容を受ける用法が発達しています。物を指差す身体動作が、文章内の先行情報を指す機能へ広がったものです。法律、報道、説明書では、長い先行節を短く再参照できるため便利ですが、候補が複数あると曖昧になります。「会社は学校へ通知した。その判断は」と書けば、会社と学校のどちらの判断か確認が必要です。近代的な行政や印刷の文章が長く複雑になるほど、指示先を管理する技術が重要になります。短い語が文書の整合性を支え、同時に誤読の入口にもなります。

対人距離へ用いると、感情も現れます。「その人」と言うだけで、名前を避ける、相手の知る人物として扱う、心理的に手放すといった含みが生まれる。「あの人」より近く、「この人」より自分の側ではない。もちろん場面によっては単なる指示ですが、争いの台詞では領域分けが関係の境界になります。歴史物でも現代物でも、誰をどちら側へ置いたかが重要です。名を言わないことは無関心にも配慮にもなります。指示語の距離だけで感情を断定せず、呼称の履歴と発話後の行動を合わせて読みます。

創作では、先行詞が明白かを推敲で確認します。作者には全景が見えていても、読者には「その」が何を指すか一つに決まらない場合がある。曖昧さが謎なら残し、説明の事故なら名詞を繰り返す。反復を避けるためだけに指示語を使うと、文章の距離座標が崩れます。「その」は短縮記号ではなく、話し手、聞き手、対象の三者を配置する語です。誰の領域へ対象を置き、どの発言へ戻るのか。古くから続く指先の動きを文中で正しく再現したとき、二文字が場面の空間と履歴を同時に支えます。

文: hakadoru.ai 編集部

エディタで直接置換して執筆を加速

SaaS エディタではシソーラスの結果をワンクリックで本文に反映できます

無料で始める →