恥じらう

【はじらう】動詞

使い分けの視点

「照れる」「はにかむ」は会話にもなじむ一瞬の反応ですが、「恥じらう」は人の視線を意識して慎ましく振る舞う持続的な様子を、少し離れた文学的な視点から描きます。「萎縮する」は恐れで動けなくなること、「慎み」は感情より節度、「含羞」は恥じらいを漢語で硬く名づけます。身体の向きや手の動きを添えると、単なる赤面との差が見えます。

同義語

同品詞の類義語

照れる
はにかむcolloquial
萎縮する文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

頬を染める
目を伏せる
袖で顔を隠す文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

花のような
乙女のような
朝露のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

しおらしく文芸的
面映ゆげに文芸的
もじもじとcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

慎み文芸的
含羞文芸的
初々しさ

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

目をそらす
身を縮める
手で顔を覆う

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

恥じらいエッセイ関連

例文: 少女の恥じらいは授賞台で長く続いたが、壊れた機械の説明になると声も手振りも迷わなかった。

話し言葉の側に住所を持たない語

「照れるなよ」とは言えます。「はにかむな」も、少し古めかしいけれど言える。ところが同じ調子でこの語の命令形を作ると、途端に芝居がかります。日常の話し言葉で誰かに向かって使う場面が、ほとんど思い浮かばない。意味が分からないわけではありません。読めば通じるし、書かれていて違和感もない。使われる場所が、話し言葉ではなく書き言葉の側に寄っている——語の意味ではなく、語の住所の問題です。辞書の同義語欄は住所を書いてくれないので、並んだ語を等価だと思って手に取ると、場面ごとつまずくことになります。

同じ心の動きを指す語が、位相の異なる層に分かれて並ぶのはよくあることです。口語の層、中間の層、文章語の層。照れる、はにかむ、そしてこの語、と並べると階段になります。段差を作っているのは意味の細かい違いではなく、その語がどの場面で使われてきたかの記憶です。会話の中で長く使われた語は口の形を覚えていて、書き言葉でしか使われなかった語は紙の匂いを保つ。特定の語や語尾が話者の像を喚起する仕組みは、役割語という枠組みで言語学が整理してきましたが、位相差はその一歩手前にあって、話者の像ではなく発話の場そのものを指定します。

位相の断層は、日常語と専門語のあいだにも走っています。同じ心の動きを漢語で言い直すと、心理学や法律の文章にも現れる硬い語になり、そこでは個人の様子ではなく、社会が想定する平均的な反応の水準を指すようになります。日常語なら本人の顔色の話ですが、漢語の術語になると、その場に居合わせた誰もが感じるであろう水準の話に変わる。同じ現象を指しながら、測る単位が個人から共同体へ移っているのです。和語の側にはこの移行が起きません。話し言葉に根を張った語は、話者の身体から離れられないぶん、一般化に向かない。語彙の層が上がるほど主語が大きくなる、という傾向は、心の動きを表す語群のあちこちで観察できます。

この語にはもうひとつ、人称の偏りがあります。「照れるなあ」は自分について言えるのに、こちらを一人称現在で使うと妙な具合になる。自分の状態を、外から見た形容によって名指すことになるからです。三人称で書けば自然に読めるのは、観察者の位置がすでに語の内側に折り込まれているためでしょう。つまりこの語を地の文に置いた瞬間、語り手は人物の内側ではなく、少し外へ立ち位置を移します。同じ場面を内側から書きたいなら、状態の名前ではなく、耳が熱いとか、視線の行き場がないとか、身体の側の情報を並べるほかありません。

語の形にもひとつ手がかりがあります。末尾の要素は、ためらう、気づかう、語らうといった語と共通していて、動作が一度で終わらずに続くことを含みます。照れるが瞬間的な反応を指すのに対して、こちらは持続する状態を指す。だから一瞬の反応を書きたい場面でこの語を選ぶと、時間の幅が合わずに文がもたつきます。どの場面の言葉かという位相と、どれだけ続く出来事かという相。この二つが一語のうちに同時に書き込まれている。語彙を選ぶことは、語り手をどこに立たせるかと、時計をどの速さで回すかを、同じ手つきで決めてしまうことでもあります。

文: hakadoru.ai 編集部

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