明治期の小説を古い版の組版で読むと、紙面に「然」の字が目立ちます。然し、然うして、然様なら。漱石の作品も初期の版では「然し」と組まれていたことがよく知られています。今なら仮名で書く接続詞や指示語にまで漢字を当てるのが、当時の書き言葉の標準でした。画数の多い字が並ぶ一方、多くの本は総ルビで組まれ、漢字の読みは振り仮名が支えていた。紙面は今よりずっと黒かったのです。
その黒い紙面にも、漢字で書けない語はありました。そんな は「そのような」の系列が話し言葉の中で縮んだ形と考えられていますが、音の融合で生まれた形には、対応する漢字の組み合わせが存在しません。さやうな には 然様な という字面があるのに、その口語的な縮約形は仮名でしか書けない。文字の体系が先にあり、その網の目からこぼれる形で生まれた語です。生まれたときから仮名専用だったという出自は、日本語の語彙の中では案外珍しい。
当時の書き手が字を惜しんだわけではありません。むしろ逆で、明治の紙面は当て字の実験場でした。外来語にも漢字が当てられ、珈琲や麦酒のような表記が定着していきます。当て字は、意味を借りるか音を借りるかのどちらかで成り立つ技術です。ところが縮約形には、借りる先がない。原語も漢語の裏づけもなく、和語の内部で音が溶け合っただけの形だからです。意味の側から当てれば「然様」の系列へ戻ってしまい、音の側から当てれば読み手に読めない字列ができる。当て字という強力な工夫が、この一語の前でだけ手を出せずに引き返しています。仮名専用という結果の内実は、表記史の側から見ればそういうことです。
この語は一人ではありません。こんな、あんな、どんな。こそあど言葉の四人組がそろって同じ縮約を起こし、そろって仮名専用です。共通するのは撥音の「ん」を含むこと。撥音は仮名の体系の中でも特別な音で、いろは歌に「ん」が含まれていないことはよく知られています。話し言葉の中で音が縮むとき、日本語はしばしば「ん」や「っ」を生み出しますが、そうして生まれた形は、たいてい仮名の側にしか居場所を持ちません。けれども が けど へ縮んだ形も、辞書では仮名のまま扱われます。縮約は文字の体系の外側で起きる音の出来事であり、その痕跡が仮名書きとして残るのです。
戦後、表記の景色は一変します。一九四六年の当用漢字表とその後の常用漢字表を経て、公用文では接続詞を仮名で書く方針が定着し、新聞や教科書も同じ方向へ動きました。然し は しかし へ、然う は そう へ。紙面から「然」が退場していく数十年のあいだ、もともと仮名でしか書けなかったこの語だけは、何の影響も受けずに同じ姿で居続けました。表記改革の歴史を持たない語形——揺れの記録がないという、静かな特異点です。
その代わりに背負ったものもあります。日本語は語と語のあいだを空けないので、字種の交替が事実上の語境界の目印になっています。漢字が現れれば、そこで新しい語が始まったと目が判断する。仮名専用の語が続けて並ぶ文では、この目印が消えます。実際、この語を含む短い一文を仮名だけで組んでみると、どこで切れるのかが一瞬わからない。だから書き手は読点を増やしたり、隣接する語をあえて漢字で書いたりして、失われた目印を別の手段で補うことになります。字種の選択は一語ごとの好みの問題に見えて、実際には文全体の読みやすさの配分です。台詞の多い場面でとりわけ効いてくるのは、この配分のほうでしょう。会話文には仮名専用の指示語や助詞が集まりやすく、放っておけば紙面が白く均されていきます。地の文でどの語を漢字に起こすかという判断は、その白さを支える柱をどこに立てるかという判断でもある。
表記の選択肢を持つ語では、漢字にするか仮名にするかという選択が文体を微調整します。ひらく、ひらかないという編集の用語があるのはそのためです。しかし仮名しか持たない語には、その調整の余地がない。そのぶん、語形の選択そのものが文体のすべてを背負います。かかる事態、と書けば文語の硬さが出る。さような次第でございます、と言わせれば慇懃で時代がかった人物が立つ。そんなこと、と受ければ現代の口語に降りる。同じ指示の働きを持つ語形たちが、表記と語形のセットで文体の目盛りを刻んでいる——仮名専用の語は、表記に迷わなくてよい語ではなく、迷いが一段深いところ、どの語形を選ぶかへ迷いが移された語なのです。