同じ一言が、賛辞にも難詰にもなる場合があります。半生を語り終えた相手に向かってこれを言えば、波乱と再起を讃えたことになる。ところが提出された企画書の見通しに向かって言えば、現実味を欠くという指摘に変わります。褒めと貶しが同じ形に同居する表現はほかにもありますが、この場合は対立の軸が二本ではなく三本あるところが少し込み入っています。出来事の配置がよくできすぎていること、現実にはありそうにないこと、展開が劇的であること。三つは重なりながらも、別々の焦点です。
なぜ焦点が分散するのか。比較の相手として選ばれているもののカテゴリ上の位置に、理由があります。矢や氷や炎を比較先に取る比喩では、相手が具体物なので、取り出せる性質があらかじめ限られている。ところがこの表現の比較先は、小説も童話も寓話も伝承も含みこむ上位のカテゴリです。上位語は、下位に属するものたちの共通部分だけを内包として持ちますから、輪郭が薄くなる。輪郭の薄い相手から性質を取り出そうとすれば、読み手ごとに違う成分が拾われるのは当然の帰結です。上位へ一段上がるたびに、指せる範囲は広がり、指した中身は痩せていきます。
さらに、上位カテゴリには典型例という厄介な現象が付いてきます。カテゴリの中心にどれを置くかは、話し手ごとに違います。典型例として長編小説を思う人、絵本を思う人、口伝えの昔話を思う人では、この一語から受け取る質感が別物になる。しかもこの二字自体が、書かれた作品を指す用法と、出来事の並べ方や語り口そのものを指す用法の両方を持っていて、後者を中心に置く読者には、作為の指摘としてまず届きます。書き手が劇的な起伏を想定して置いた比喩が、読者の側では素朴で予定調和な筋立ての意味に取られる。誤読というより——上位語を使ったときに構造的に発生する分岐です。辞書に多義として立項されるより早く、運用の場で意味が割れている。
もっとも、この曖昧さは欠点とばかりは言えません。人物の台詞として使えば、その人物がどの典型例を思い描いているかが、周辺の語彙から推測できる形で立ち上がります。昔話を典型に持つ人物と、翻訳小説を典型に持つ人物とでは、同じ一語を口にしても像が違って見える。比較先の輪郭が薄いということは——話者の側の輪郭を映す余地が大きいということでもある。上位語による比喩は、対象について語っているつもりで、話者について語ってしまう性質を持っています。会話文の中でだけは、この性質が資産に変わります。
実作で焦点を固定したいなら、方法は二つです。ひとつは、三つの焦点のうち採りたいものを直前か直後の一文で言語化すること。筋書きが整いすぎている点を問題にしているのか、起きそうにない点を問題にしているのかを、比喩の外側で示す。もうひとつは、比較先を下位語へ落とすこと。寓話か、絵本か、伝承か。下位へ降りるほど輪郭は濃くなり、拾われる成分は絞られます。上位語のまま使うのは、絞りたくないときだけにする。曖昧さを残すこと自体が選択なのだと分かっていれば、この表現は手垢のついた比喩ではなくなります。使い古されているのは形であって、機能のほうはまだ整理されていません。