明治五年、西暦一八七二年の学制発布は、全国の子どもを教室という箱に集め、定められた時間、動かずに座っていることを求めました。身体の静止を国民の規模で訓練する仕組みが、このとき動き出したことになります。しかし、動くなと命じられた身体は完全には止まりません。机の下で足が組み替えられ、尻は椅子の上で数センチずつ位置を変え、背中は伸びては丸まる。この、抑えつけられてなお残る微小な運動を掬い上げるために、日本語は専用の擬態語を備えています。
静止を求めたのは学校だけではありません。写真もまた、被写体に動かないことを要求しました。感光材料の感度が低かった時代、一枚を写すには長い露光が必要で、そのあいだに身じろぎすれば像は流れてしまいます。初期の写真館が、頭の後ろに支柱を立てて動きを抑える器具を用意していたのはそのためです。幕末から明治にかけての肖像写真で人々の表情がどこか硬いのは、性格でも作法でもなく、長く止まっていた結果でもある。ここでの微動は、叱られる対象ではなく、失敗として乾板に残ります。身体に静止を課す場面は、制度と技術の両側から増えていきました。露光が短くなり、写真が一瞬を切り取れるようになったのは、それから数十年あとのことです。技術が身体を解放するまでのあいだ、写される側はレンズの前で自分の身体を抑え込み続けていたことになります。
擬態語が仕事をするには前提が要ります。「もぞもぞと動く」が描写として成立するのは、その場に「動かないでいるべきだ」という規範が敷かれているときだけです。広場を走り回る子どもをこの語で描く人はいません。命令は届いているのに身体が従いきれない、規範と生理のせめぎ合い——そこを指すのがこの語の焦点であって、単に小さな動きを写しているのではない。つまりこの擬態語の生息地は、静止を要求する制度の内側にあります。制度が身体を縛るほど、縛りからはみ出す微動を名指す語の出番は増えるわけです。
だからこの語の舞台は、近代が整備した空間ときれいに重なります。授業、朝礼、式典、法事、面接、満員電車。整列や「気をつけ」の号令は軍隊の所作に由来すると言われ、学校教育を通じて広く浸透しました。正座が正式な座り方として一般化したのは比較的新しいという指摘もあります。畳の客間で足のしびれに耐える所作も、ホームで隊列を崩さずに電車を待つ習慣も、この百五十年ほどの間に整えられた身体の作法です。一つの擬態語の稼働域が、制度の歴史とこれほど連動している例は多くありません。
家具の側からも条件が揃っていきました。学校に洋式の机と椅子が入り、劇場や映画館に固定席が並び、通勤の車内で長く腰かける時間が生まれる。同じ姿勢で椅子に座り続けるという経験そのものが、近代になって大量に作られたものです。座面と身体のあいだには必ず接触面があり、時間が経てば圧の集中する場所が移ります。座り直しは、行儀の問題である前に力学の問題でもある。畳に膝を折る作法なら、しびれと、そこから来る別種の身じろぎが生まれます。どんな座り方を制度が選ぶかによって、はみ出す微動の形まで違ってくるわけです。長椅子に肩を並べて掛ける場では、身じろぎが隣の身体にも伝わります。微動が本人だけの出来事でなくなるところに、この語が気まずさを運ぶ理由の一端がありそうです。
興味深いことに、この語は声にも転用されます。口の中でもぞもぞと言い訳をする、という描写が成り立つのは、はっきり述べよという発話の規範がその場に立っているからで、身体の微動とまったく同じ構図です。一方で、規律とは無縁のもう一つの顔もあります。冬の朝、布団の中でもぞもぞしている人は、誰にも命令されていません。寒さと眠気のあいだで、身体が勝手に交渉しているだけです。公的な場では規範への半端な不服従として、私的な場では身体の自己都合として、同じ語形が使い分けられている。共通するのは、意思の統制が緩んだすき間から身体が発する小声だ、という点でしょう。
小説でこの擬態語を働かせたいなら、動きより先に規範を書くことです。会議の沈黙、通夜の作法、教室の号令。縛りが読者に見えてさえいれば、微動の一語は人物の内心を映す計器になります。縛りのない場面に置けば、ただの癖の描写に落ちる。教室という装置が発明した身体の緊張を、この語は百五十年後の満員電車の中でも、いまだに背負い続けています。