実は

【じつは】接続詞

使い分けの視点

「実は」は見かけと内実の落差を予告しますが、会話では話題転換や言いにくさの合図にも摩耗しています。「白状すれば」は秘密と責任、「本音を言えば」は建前との対比、「ぶっちゃけ」はくだけた勢いを強めます。予告に見合う反転を後へ置きます。

同義語

同品詞の類義語

実のところ文芸的
本当のことを言えば
白状すれば文芸的
実を言うと

類義句

同品詞の慣用的言い換え

正直に申せば文芸的
本音を言えば
ぶっちゃけcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

あからさまに言えば文芸的
包み隠さず言えば
ぶっちゃけて言うとcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

身構えさせる前置きエッセイ関連

例文: 地の文の「実は」は身構えさせる前置きとなり、次の一文に秘密を明かす責任を負わせた。

中身が抜けたあとに残った枠

会話を文字に起こしていると、同じ話者がこの前置きを五分間に四度使っていることがあります。四度とも、続く内容は特に隠されていたわけでも意外でもない。外しても文意は変わらない。ところが外すと、なぜか話の調子が落ちる。実質を手放した語が、それでも何かを担い続けている状態です。摩耗した部品が、機械のどこかでまだ力を伝えている。

もとは違いました。「実」は中身であり、まことであり、外側の見かけに対する内側を指す字です。この語も、見かけと中身が食い違う場面でこそ使われた。表向きはこうだが内実はこうだ、という対比の枠がまずあって、その枠のなかで内側の側を指し示す標識として働いていた。現在の用法にも、枠の形だけは残っています。残っているのは形だけで、外側と内側に本当に落差があるかどうかは、もう問われない。聞き手の側も、宣言された落差を検算したりはしません。前置きが来たら身構える、という反応だけが自動化している。

位置の側も見ておきます。この前置きは文の途中にも入れられますが、実際に現れるのは圧倒的に文頭です。文頭に立つと、かかる先は直後の一語ではなく、続く一文の全体、ときには数文の塊になる。かかる範囲の広い語は、どこを保証しているのかを特定されにくく、特定されないものは検証もされません。談話を運ぶ部品へ移っていく語が、文の内側から縁のほうへ動き、作用する範囲を広げていくという経路は、いくつもの言語で報告されています。位置の移動と実質の希薄化は、別々に起きた二つの出来事ではなく、同じ過程の表と裏だと見たほうがよさそうです。文頭は、文の中身を担当しなくてよい席でもあります。そこへ移った語は、意味を失った代わりに、話し手と聞き手のあいだを取り持つ仕事を受け取ります。

同じ字を持つ「実に」が別の道を辿ったことも、この変化を測る物差しになります。あちらは対比の枠を捨てて、程度を強める副詞のほうへ寄った。実に美しい、と言うとき、話者は何かとの食い違いを主張してはいません。一方は強意へ、他方は談話の運びへ。同じ語根から出た二つが、担当する層をきれいに分け合っている。分岐の年代を確かなこととして言うのは難しいのですが、少なくとも現代語では、片方は文の内側で意味を強め、片方は文の外側で話の順番を整えている、という役割の違いがはっきりしています。

内容を担っていた語が、使われるうちに実質を手放し、話の運びを整える部品に変わる。この種の変化は多くの言語で観察されていて、意味の漂白と呼ばれます。軽くなった語は使いやすくなるので頻度が上がり、頻度が上がるとさらに摩耗する。ただ、完全に空になったわけではありません——「実は、明日は伺えません」と言うとき、話者はまだ、これは言いにくい内容だという合図を送っている。中身の対比が、態度の対比へ置き換わって生き延びた。摩耗の途中で、機能が乗り換えている。

摩耗していない部分もあります。語形です。頻度の高い語は音の側でも削れていくのがふつうで、「それでは」が「それじゃ」を経て「じゃあ」まで縮んだ経路はその典型でしょう。ところがこちらは、じ・つ・は の三拍のまま動いていない。縮約形が話し言葉に定着した気配もありません。それどころか、実を言うと、実のところ、といった長い異形のほうが併存していて、変異は伸ばす方向にも用意されています。漢字表記が形を支えているのか、縮むほどの頻度には達していないのか、理由は決めかねます。ただ、意味だけが軽くなって形は重いまま残るという組み合わせが、この語の使われ方をよく説明することは確かです。三拍ぶんの時間が文の先頭に置かれ、その間に聞き手は姿勢を作る。空になった枠が、それでも一定の長さを占め続けていることに、残った機能が乗っている。

小説の地の文でこれを使うと、語り手の位置が動きます。読者に対して「まだ話していないことがある」と宣言することになり、語り手は物語の外へ一歩出る。会話文のなかなら人物の口癖として自然に収まるものが、地の文に出た途端に構えの合図に変わる——読者は身構え、そのぶん続く一文への期待が上がります。期待に見合うものが来なければ、その語は次から雑音として読み飛ばされる。摩耗した語は、使うたびにもう少しだけ摩耗する。書き手にできるのは摩耗を止めることではなく、まだ残っている落差をどこで使い切るかを決めておくことくらいでしょう。

文: hakadoru.ai 編集部

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