ちなみに

【ちなみに】接続詞

使い分けの視点

軽い補足には「ちなみに」「ついでに」、本文の情報を補うなら「なお」「付け加えると」が自然です。「余談ながら」「蛇足ながら」「申し添えると」は改まった語り手を作り、「因みに申せば」「余事ながら」は時代色を添えます。脇道へ入る深刻さと発話者の余裕に合わせて選びます。

同義語

同品詞の類義語

なお
ついでにcolloquial
余談ながら文芸的
蛇足ながら文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

付け加えると
申し添えると文芸的
ことのついでに文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

余事ながら文芸的
因みに申せば文芸的
雑談めくが文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

またエッセイ関連

例文: 城門は日没に閉じる。また、満月の夜だけは地下水路も封鎖されると、門番は旅人へ告げた。

さてエッセイ関連

例文: さて、盗まれた宝石はどこへ消えたのか。探偵は客間に集めた五人をゆっくり見回した。

四拍分の助走——文頭に置かれた遅延が語ること

四拍あります。ち・な・み・に。同じ位置に立つ語を並べてみると、なお、は二拍、また、も二拍、さて、も二拍。接続の合図としては倍の長さです。文の頭に四拍の助走を置けば、聞き手は本題が来るまでその分だけ待たされる。この待ち時間そのものが、これから来るのは本筋ではないという予告になっているのではないか——最初に思ったのは、そういうことでした。二拍の語が本筋を継ぎ、四拍の語が脇道に使われるのなら、長さと重要度が逆に対応していることになります。

長さだけの話ではありません。四つの拍はどれも軽い。撥音も促音も長音も含まず、すべて子音と母音でできた自立拍で、途中に詰まりがない。比べて「蛇足ながら」は六拍あるうえ、頭に濁音が立ちます。「余談ながら」も六拍。これらは口に出すと重く、重いぶん、本気で断りを入れている感じが出る。四拍で滑らかに流れる語は、断りを入れながら、その断り自体を軽くしている。前置きしていることを、前置きの調子で打ち消していると言ってもいい。同じ余談の合図で四拍の語をもう一つ挙げるなら、ついでに、があります。こちらも四つの拍がすべて軽く、二拍目に母音だけの拍を抱えるぶん、途中でいっそう力が抜けます。四拍で軽い語が、そろって脇道の側に集まっている。

母音の並びは i-a-i-i で、四つのうち三つを i が占めます。/i/ が小ささや細さと結びつくという議論は、言語をまたいで長く繰り返されてきました。それを当てはめれば、この語の軽さは母音の配置のせいだと言えそうです。ただ、ここは慎重になったほうがいい。語形をたどれば動詞の連用形に助詞が付いた成り立ちで、音は意味の結果として残ったものです。先に軽い意味があって、後から音の印象が説明として貼りついた可能性のほうが高い。音象徴の説明は、たいてい後知恵の顔をしている。当てはまる例だけを集めれば、どんな仮説でも立ってしまう。

それでも消えない事実が一つあります。四拍という長さは印象ではなく、物理的な時間だということです。黙読していても、読者の内側には音の時間が流れる。文頭に四拍分の遅延が挿入されれば、そこで一度呼吸が入ります。読点を打たなくても間ができる。この効果だけは、語源の説明とも音象徴の議論とも独立に成り立つ——印象を疑っても、時間は残ります。

と書いたそばから、その時間も揺れることに気づきます。日本語の拍がどれも同じ長さを持つという等時性の考え方は、記述の便宜としては強力ですが、実測すれば拍ごとの長さはかなり変動することが知られています。四拍がいつでも二拍のちょうど倍だとは言えない。黙読のほうもあやしくて、目で読むときに内側で音を鳴らしているかどうかは、読者によっても場面によっても違うはずです。速く読み飛ばす人は、ほとんど鳴らしていないでしょう。それでも捨てきれないものが残ります。四拍を書くには四つの仮名が要り、仮名の数だけ視線は動く。音の時間が縮んでも、行の上の距離は縮みません。助走の実体は音ではなく、紙面に取られた場所のほうかもしれない。そう置き換えると主張は弱くなりますが、代わりに確かめられる形になります。

もう一つ、引っかかることがあります。この四拍は縮まないのです。よく使う長い語は、たいてい短い形を持ちます。では は じゃ になり、ておく は とく になり、なければ は なきゃ になる。それなのに、この語に短縮形はありません。ちなみ とも ちなに とも言わない。頻度が低いからだという説明も一応は立ちますが、書き言葉の中ではむしろよく見かける語です。考えられるのは、縮むと用をなさなくなる、ということでしょう。短くなれば助走が消え、脇道の予告が失われて、ただの接続に戻ってしまう。長さそのものが機能になっている語は、語形を削る圧力に抵抗する。四拍のまま今日まで残っている理由として、いまのところこれが一番もっともらしく思えます。

その時間の長さは、会話文に置くと人物の余裕として読めます。四拍かけて余談を予告できるのは、話す時間を自分で配分できる立場にいる人です。追われている人物、息を切らしている人物、相手に主導権を握られている人物には言わせにくい。逆に、緊迫した場面で誰かがこの語で切り出したなら、その人物は状況を掌握しているか、掌握しているふりをしている。前置きに四拍を使えるという事実だけで、力関係が一行で示せる。接続の語は文と文をつなぐ部品ですが、つなぎ方の速度のほうが人物を描いてしまうことがあります。

文: hakadoru.ai 編集部

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