だって

【だって】接続詞

使い分けの視点

文頭の「だって」は、理由を説明する前に相手の非難を押し返す接続詞です。なぜならのような自己完結した論証ではなく、直前の圧力と応酬を必要とします。幼い弁明にも、大人の後ろめたさにも使えます。誰も責めていない場面で口にさせれば、人物が心の中で聞いている非難まで立ち上がります。

同義語

同品詞の類義語

なんとなれば文芸的
なぜなら
というのも
だもんcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

けだし文芸的
そのわけは
なんでかっていえばcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ゆえに文芸的
そうはいっても
しかたないじゃないcolloquial

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

応酬エッセイ関連

例文: 応酬の最初の三音だけで、少女は相手の非難を押し返した。「だって」の続きは鐘に消えた。

書かれていない非難エッセイ関連

例文: 書かれていない非難が聞こえた。誰も問わないうちから、男は「だって扉は開いていた」と弁明した。

反論の接続詞——「だって」の統語的な居場所

小学校の作文指導には、定番の赤入れがあります。理由を書くときは「だって」ではなく「なぜなら」を使いましょう、というものです。話し言葉と書き言葉の区別としては穏当な指導ですが、この言い換えには統語的な無理が潜んでいる。二つの接続詞は、統語的に同じ場所へ立てないからです。「なぜなら」が受けるのは、直前に自分が述べた主張であり、これからその根拠を示すという予告として働きます。ところがこの語が受けるのは自分の発話ではなく、相手の発話——それも多くの場合、非難や反対や詰問です。理由の接続詞である前に、反論の接続詞なのです。

ふるまいの違いは、形の上にはっきり現れます。「なぜなら」で開いた文は「〜からだ」で閉じるのが安定する。理由提示の枠を自分で開いて自分で閉じる、自己完結型の構文です。一方「だって明日は休みだもん」「だって君が先に言ったんじゃないか」のように、こちらの文末には「もん」「じゃないか」「んだから」といった、聞き手へ押し返す形式が並びます。単独の説明ではなく、応酬という統語環境を要求するわけです。さらにこの語は従属節の中に埋め込めません。「彼は、だって疲れていたから、休んだ」という文は成立しない。主節の、それも発話の先頭にしか立てない。文法研究で主文現象と呼ばれる性質の、教科書的な見本です。相手のいない独白や論説文からこの語が締め出されているのは、行儀の問題である以前に、受けるべき相手の発話がそこに存在しないからだと説明できます。

理由を置く位置という点でも、この語は変わった場所を占めています。日本語で理由を述べるときの基本形は前置です。「疲れたから休んだ」のように、理由の節が先に来て主節が続く。話し言葉なら「休んだよ、疲れたから」と入れ替えることもできますが、これは倒置であって、二つの節が一文にまとまっている事情は変わりません。ところがこの三音で始まる発話は、節ではなく独立した一文として、しかも相手の台詞のあとに置かれます。理由が、前の文にも自分の文にも従属しないまま、単独で立っているのです。従属節に埋め込めないという制約は、裏返せば、どこにも従属しない理由の言い方をこの語が引き受けているということでもある。言い訳が言い訳らしく聞こえるのは、内容が苦しいからだけではありません。理由が主張から切り離されて、後から単独で運ばれてくるという形式そのものが、苦しさを伝えています。

出自については、断定の「だ」に接続助詞「とて」が付いた形から転じたという説明が広く行われています。興味深いのは、同じ音形の語がほかにも同居していることです。「私だって行きたい」のように名詞に付いて「〜もまた」の意を添えるとりたて助詞。「明日は休みだって」のように文末に現れて伝聞を示す用法。接続詞、とりたて助詞、伝聞——同じ三音が、文頭・文中・文末という別々の住所に住み、別々の品詞として働いています。多くの辞書が見出しや枝を分けて記述するのは、意味の違い以上に、この分布の違いを反映した処理です。位置がすべてを決める語だと言ってもいい。

とりたての用法の内部にも、細かい分業があります。「誰だって」のように不定語と組むと、この三音は全体を覆う意味を作ります。誰も彼もが、いつでも、どこへでも。近い働きをする助詞「も」と並べてみると、差はすぐ出ます。「誰も間違える」は落ち着かないのに、不定語にこの三音を添えた形は自然に響く。後者には、あなただけではない、という含みが付いてくるからです。譲歩の色が、量をまとめる用法にまで滲み出している。文頭の接続詞が相手の非難を受け止めるのと同じ身振りを、文中のとりたてのほうは、名指されていない誰かの非難に対して行っているように見えます。住所が違っても、同じ癖を持った一族なのです。

小説の会話文でこの接続詞が生きるのは、直前に圧力があるときです。逆に言えば、誰にも責められていない人物がこの語で話し始めると、読者は書かれていない非難を自動的に補って読む。一語で、存在しない相手の台詞を召喚できるのです。叱られる前から言い訳を始める子供、誰も何も言っていないのに弁明を開始する後ろめたい大人——台詞の頭のこの三音だけで、その人物が何に怯えているかが伝わります。理由の接続詞を選ぶことは、その一文が誰に向かって、どんな圧力の下で発されているかを設計することでもあるのです。

文: hakadoru.ai 編集部

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