天皇の死に際して歌舞音曲をやめる、という慣行が近代の日本にはありました。一九一二年七月の明治天皇の崩御でも、一九二六年暮れの大正天皇の崩御でも、興行や祝宴は広く見合わされ、年末年始の行事は静かに畳まれています。一九八九年一月の昭和天皇の崩御に先立つ数か月にも、同じ性質の自粛が全国へ広がりました。止められたのは布でも金でもありません。音と、動きです。
ここで品詞が効いてきます。同じ語根でも、連体の形は物に付く。華やかな衣装、華やかな金屏風——これらは箪笥や蔵にしまっておけば、誰にも咎められません。副詞の形は違います。催す、迎える、送る、進める。行為の進み方そのものに付くので、しまっておくことができない。喪の期間に禁じられたのは、まさにその進み方でした。物を持っていることは黙認され、それを人前で動かすことが止められる。副詞と連体形の差が、そのまま統制の切れ目と重なっている。
物の側を規制した例も、そう遠くない時代にあります。一九四〇年七月七日に施行された奢侈品等製造販売制限規則は、贅沢品そのものの製造と販売に線を引きました。標語のほうが有名になりましたが、制度としては物を止める設計です。物を止める社会と、進行を止める社会では、人の抜け道が違ってきます。物を取り上げられた者は隠す。進行を止められた者は、人数を減らし、時間をずらし、戸を閉める。同じ「派手にできない」でも、場面に現れる姿がまるで別になる。
もう一つ、この副詞が指す明るさの基準そのものが、技術で動いてきたことも見ておく価値があります。銀座にアーク灯が点いたのが一八八二年、東京電燈が一般への配電を始めたのが一八八七年。それ以前の夜の祝祭は、蝋燭と提灯と篝火の照度で成立していました。暗い座敷で金糸が一瞬光るのと、電灯の下で全身が均一に照らされるのとでは、同じ副詞が指している現象がまるで違う。時代物でも異世界でも、光源の水準を決める前にこの語を置くと、読者は自分の知っている照明を勝手に持ち込みます。
係る動詞の顔ぶれも、統制と衝突する理由を裏づけます——催す、装う、飾る、迎える、練り歩く。どれも人前でひらかれる持続的な行為です。ひとりで気づく、ふと思い出すといった内側の動詞には、この副詞はまず付かない。見られていることが語義に組み込まれているので、見せてはならないという命令と正面からぶつかる。私的な行為へ移して使えないわけではありませんが、そのときは公開の記憶が薄く残って、一人の所作にどこか観客の視線が混じります。
作中で式や祭を書くときは、統制の型を先に決めておくと、世界の輪郭が締まります。衣装は華美なのに進行だけが粛々としている社会は、喪か戒厳の世界です。進行は賑やかなのに衣装が粗末な社会なら、物資の尽きた世界になる。どちらも一行で示せて、説明を要しません。時代を年号で告げるより、許されている動きの幅で告げたほうが速いことがある。
そして、この副詞を口にできるかどうか自体が情報になります。止められている期間に誰かが華やかにやろうと言えば、それは提案ではなく違反の宣言です。副詞は出来事の進み方に付くのだから、出来事を管理する側と正面から当たる。飾りの語に見えて、実際にはいちばん先に取り締まられる位置に立っている。祝いの場面を書くとき、その一語を誰に言わせるかは、飾りの選択ではなく政治の選択です。