美しさを表す語を、重々しい順に並べてみようとして、三語目で手が止まりました。華麗、優美、艶麗、妖艶——二語なら決められる。三語目を挿しこもうとすると、どこに入れても嘘になる。並べる操作そのものが、対象の性質と噛みあっていない気配がある。
数学の言葉を借りると、この行き詰まりには名前があります。全順序と半順序の違いです。全順序では、どの二つを取ってきても必ず大小が決まる。整数はそうなっている。半順序では、順序関係はあるが、比較できないペアが残る。集合の包含関係がその例で、二つの集合のどちらが他方を含むわけでもない、という場合が普通に起きます。語の重さも同じで、漢語らしさの軸と官能の濃さの軸が独立に動いているかぎり、片方が上でもう片方が下、という組が必ず出る。順位表が作れないのは能力の問題ではなく、対象が半順序だからです。
半順序には、上限という考え方も付いてきます。二つの元を取ったとき、その両方より上にあるもののうち最小のものを、最小上界と呼ぶ。二字漢語を眺めていると、つい、この構造を期待したくなります。艶と麗を並べれば、両方を含む最小の語がその真上に一つ立っているはずだ、と。ところが実際には立ちません。艶麗は艶より艶やかでもなく、麗より麗しくもない。両方の成分を持っているのに、どちらの延長線上にもいないのです。上限が見つからない以上、成分の語から合成語の位置を計算で出すことはできず、一語ずつ実例に当たるほかありません。
二字漢語には、もう少し扱いやすい構造もあります。同じ字を共有する語の束です。麗の字を含む語を集めれば華麗、秀麗、壮麗、端麗、美麗が並び、艶の字を含む語を集めれば艶美、妖艶、艶容が並ぶ。二つの束は一点で交わる。共有する成分を軸に取れば、束のなかでは比較がしやすくなります。麗を共有する語どうしなら、残りの一字が何を足しているかで整理できるからです。半順序でも、局所的にはきれいに並ぶ領域がある。全体の順位表が作れないことと、部分的な整理ができないことは別だ、ということになります。
ここで自分に反論しておきたいのですが、書き手が本当に欲しいのは順位表なのか。強い順に並んだ一覧があれば選べる、という前提自体が怪しい。実際の執筆で必要になるのは「この文脈で置き換え可能な近傍」であって、全体の序列ではありません。近傍は文脈ごとに違う形をしていて、大域的な順序に還元できない。順位表が作れないという発見は、作れないものを求めていたという発見でもある。
そう考えると、この二字漢語の使いどころも見えてきます。日常の頻度は低く、字面は漢籍寄りで、和語の並んだ地の文に落とすと段差ができる。中間を取ることもできません。艶と麗の平均ではなく、二字が結合して別の位置を占めている——凸結合のように、二点を結んだ線分の上に収まってはくれない。だから使うのは、段差そのものが必要なときに限られます。語りの調子を一段格上げしたい一文、あるいは登場人物が意識して古風な語彙を選んだと読ませたい台詞。それ以外の場所では、隣にある和語のほうが正確に届きます。序列を作る代わりに、どの語がどの文脈から遠いかを覚えておくほうが、原稿の役に立つ。