眩暈がするほどの

【めまいがするほどの】形容詞句

使い分けの視点

「眩暈がするほどの」は、身体の限界を借りて高さや衝撃の程度を測る言い方です。実際に足元が揺らぐ場面なら切迫感が出ますが、抽象的な対象に重ねると大げさになりかねません。視界、姿勢、足場などの具体を伴わせ、比喩が人物の感覚から離れないようにします。

同義語

同品詞の類義語

立ちくらみがするほどの
天が回るほどの文芸的
頭がふらつくほどの
気が遠くなるほどの

類義句

同品詞の慣用的言い換え

視界が回る
感覚が薄れる
正気を奪う文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

万華鏡のような
渦に巻かれるような文芸的
高層の縁のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

ぐらぐらとcolloquial
ふらふらとcolloquial
視野を回しながら文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

天地を回らす文芸的
視界を歪ませる文芸的
頭を揺らす

体言的言い換え

用言を体言に変換

視界の渦文芸的
立ちくらみの瞬間

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

意識を奪うほどの文芸的
正気を保てぬほどの文芸的
天地を見失うほどの文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

手すり越しの地面エッセイ関連

例文: 塔の最上階で手すり越しの地面を見た途端、彼の膝から力が抜けた。

借りてきた閾値——程度修飾が効かなくなる仕組み

「高い塔だった」と「眩暈がするほどの高さの塔だった」を並べてみます。後者で増えた情報は塔の側に一つもありません。増えたのは、その前に立った人間の身体に何が起きるか、という予測です。この型の修飾句は、対象の属性を述べる代わりに、対象に接触した身体の閾値を借りてきて代用する。実際にめまいを起こしている人物は、たいてい文中に存在しません。存在しない反応を仮に置くことで程度を示す——比喩としてはかなり大胆な操作で、それが日常的に使えてしまうのは、読者がこの型を大量に読み慣れているからにすぎない。

慣れているということは、摩耗しているということでもあります。程度修飾には厄介な性質があって、効きの弱まりを書き手が上乗せで補おうとする。高い、非常に高い、めまいがするほど高い、正気を失うほど高い。ところが読者側の反応は上乗せに比例しません。刺激を倍にしても感覚量は倍にならないという関係は感覚の研究でよく知られていますが、修飾句にも似たことが起きます。二度目からは上げ幅が効かない。三度目には、書き手が言葉を探して困っている気配のほうが先に届く。程度を上げる操作は、原理的に一作品につき数回しか使えない資源だと考えたほうがいい。

では、どこで使うか。この句が生きるのは、身体を持った人物が現に立っている場面です。階段の踊り場、足場の上、混雑した駅の階段口、長く屈んでいてから立ち上がる瞬間。平衡感覚は視覚と内耳と足裏の情報を突き合わせて作られていて、その突き合わせが崩れると人は本当にふらつきます。原因が身体側に実在している場面でこの句を使うと、修飾は比喩から半分だけ現実に戻り、読者の身体も一緒に反応する。逆に、抽象名詞に掛けたときが最も弱い。美しさ、幸福、才能のように身体が関与しない対象へ平衡感覚を借りてくると、借用の縫い目が見えます。

手垢を落とす方法は、修飾の相手を物理量に取り替えることです。高低差、光量、情報量、速度、人数。数えられるものに掛けると、読者は自分の経験の目盛りを当てにいく。同時に、原因を一つだけ具体にしておく。塔の高さそのものではなく、下を見たとき手すりの隙間から地面の車が見えたこと。そこまで書けば、程度修飾そのものを省いても伝わることが多い。省けるなら省いたほうが強い、というのがこの型のいちばん厄介なところで、うまく書けた原稿ほど、この句を消しても意味が減らない状態になります。

配分の話として締めます。この修飾句は読者に身体反応を要求する。要求にはコストがあり、短編なら一回、長編でも山場の周辺に数回が限度でしょう。二話に一度出てくると、読者はそれを語り手の口癖として処理しはじめ、以後どれだけ強い場面でも身体を貸してくれなくなる。使うかどうかを決めるのは書いている一行の内側ではなく、原稿全体のどこに残高を置くかという設計の側にあります。書き終えたあとに全文を検索し、出現位置を並べて眺めます。それだけで判断がつくことは多いものです。

文: hakadoru.ai 編集部

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