語の頻度を高い順に並べ、順位と頻度を掛け合わせると、おおむね一定の値に近づく。ジップの法則と呼ばれるこの偏りは、言語やコーパスの種類を変えてもよく似た形で現れることが知られています。上位のごく少数の語が全体の大半を占め、残りは長く薄い裾に散らばる。語彙の大部分は、その裾に住んでいます。この図を最初に見たとき、辞書の厚みと実際に使われる語の量がこれほど食い違うのか、と落ち着かない気持ちになりました。
形容詞に「さ」を付けて作った名詞は、多くの場合、元の形容詞より裾寄りに位置します。派生形が基本形の頻度を上回ることは、一般的な傾向としては考えにくい。手元に順位表がないので数字は出しませんが、文章を書いていて呼び出される回数の差は、体感としてもはっきりしています。「眩しい」は何も考えずに出てくるのに、名詞形のほうは意識して選ばないと出てこない。この呼び出しにくさ自体が、頻度分布の反映と見てよさそうです。
裾の語には二つの性質があります。一つは、出現するとそれだけで目立つこと。情報理論の言い方をすれば、確率が低いぶん自己情報量が大きい。もう一つは、共起の自由度が低いこと。統計的に扱う側から見ればデータが疎になるという話ですが、書く側から見れば、後に続けられる語が実際に少ないという話です。目を細める、耐える、覆う——この名詞形に自然に続く述語を挙げていくと、意外に早く尽きます。低頻度語は、単独では目立つのに、組み合わせの余地では貧しい。
頻度には、全体の分布とは別に、局所の偏りという側面もあります。ある語がコーパス全体では稀でも、いったん現れた文書の中では続けて出やすい。話題に引き寄せられて固まる、という現象で、書き手の癖としても同じことが起きます。裾の語を一度使うと、その語が手前に浮いたまま残り、数ページ後にまた出てくる。読者の側では二回目の効きが目に見えて落ちます。低頻度であることが生む目立ちは、その語がそのテキストの中でも低頻度であることに支えられているからです。原稿全体での出現回数を検索して数えるのは、地味ですが効く点検になります。
だから裾の語を集めれば文章が濃くなる、とは言えません。目立つ語が連続すると、読者は語ごとに立ち止まることになる。頻度分布の偏りは、読みの効率がそれによって支えられている構造でもあります。高頻度語が骨格を作り、そこに低頻度語が要所で刺さるからこそ、刺さった箇所が見える。全部を要所にすることはできない。この点だけは、分布の形そのものが教えてくれます。
そのうえで、名詞化という操作自体が持つ効果も分けて考えたい。「眩しい」は反応を述べる形です。まぶたが閉じかける、その瞬間の身体の側から出てくる。対して名詞形は、その現象を性質として取り出す。取り出した時点で、話者は現象の外に立っています。だから目を細めている最中の人物視点で名詞形を使うと、わずかにずれる。事後の要約か、外からの観察になる。裾の語を選ぶかどうかは頻度の問題に見えて、実際には視点をどこに置くかの問題と地続きです。統計の話から入って、行き着く先が視点距離だというのは、書き始めたときには予想していませんでした。