眩ゆいばかりの

【まばゆいばかりの】形容詞句

使い分けの視点

「眩ゆいばかりの」は文語形と「ばかりの」が重なり、会話でなく整えられた地の文に属する修飾句です。「光輝に満ちた」「燦然たる」は格式へ、「視界が真白に染まる」は身体に近い描写へ寄ります。回想や伝聞など対象から距離を取る場面で一度だけ使い、現代口語へ混ぜません。

同義語

同品詞の類義語

光輝に満ちた文芸的
燦然たる文芸的
金色に輝く
光に溢れた

類義句

同品詞の慣用的言い換え

瞳を奪う輝きの文芸的
視界を白く染める文芸的
光彩を放つ文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

白銀のような文芸的
黄金のような文芸的
閃光のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

煌々と文芸的
燦々と文芸的
光彩を放って文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

光輝を放つ文芸的
視線を奪う
視野を満たす文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

光輝の極み文芸的
黄金の輝き文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

視力を奪うほどの文芸的
天上のような文芸的
視界が真白に染まる文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

遠い記憶を照らす朝日エッセイ関連

例文: 遠い記憶を照らす朝日の中で、老女は若い日の旅立ちを語った。

誰の口にも乗らない言い方——書き言葉だけに棲む修飾句

この言い回しを、声で聞いた記憶がある人はほとんどいないはずです。同僚が窓の外を指して「眩ゆいばかりの陽射しですね」と言ったら、聞いた側はまず冗談か演技を疑う。にもかかわらず、文章の中に置かれれば何の抵抗もなく通過します。日本語には、話し手の口に一度も乗らないまま何百年も使われ続ける表現の層があり、この句はその層の典型に属します。位相差というと地域差の話に聞こえますが、話し言葉と書き言葉のあいだにある断層のほうが、実務上はよほど深い。

断層は二重になっています。まず語幹の側。日常語の側は「まぶしい」で、こちらは幼児でも使います。一方の「まばゆい」は文語形容詞「まばゆし」の系譜にあります。口語側の語形も同じ古語に遡るとされますが、二つは早くに分かれ、以後は別々の担当を持ったまま並走してきました。声に出す機会があるのは常に一方だけで、もう一方は紙の上でしか動かない。次に「〜ばかりの」という連体の型。程度の極限を示すこの構文も、会話では「〜くらいの」に置き換わります。位相の高い語幹に、位相の高い構文が重ねられている。

こうして二重に持ち上げられた表現は、書き手の手を離れて役割語のように振る舞います。翻訳文体のナレーション、宮廷や大聖堂を描く場面、記録映像に付される語り——置かれる場所がかなり限定される。逆に言えば、現代の高校生が一人称で語る小説の地の文にこれが出てくると、読者はその一行だけ語り手が入れ替わったように感じます。誤りではありません。ただ、文体の階層が一段跳ね上がったことは確実に伝わってしまう。

同じ現象を、専門語の側から見ることもできます。照明工学がこの明るさを扱うときに使うのは輝度で、単位はカンデラ毎平方メートル、まぶしさの不快さは不快グレア、視対象が見えなくなるほうは減能グレアと呼び分けられます。数値と分類で書ける領域です。ところが専門語の側には、この句に相当する表現が存在しない。存在させる必要がないからです。専門語は現象を測るために作られ、この種の修飾句は現象に打たれた側の反応を運ぶために残った。同じ光を指しながら、二つの語彙体系はまったく別のものを保存しています。

だからこの句を使うということは、明るさの量を報告することではなく、語り手の立ち位置を一段高いところに置くという宣言に近い。距離が生まれます。近くで目を細めている人の言葉ではなく、その光景を離れて眺め、あとから整えた人の言葉になる。手垢がついているとすればそこで、光そのものより先に、整えられた語りの気配が届いてしまう。使わないほうがよい、という話ではありません。距離を取ることが必要な場面は物語の中にいくらでもあります。回想の枠外から一度だけ差し込む語り、他人の記憶を伝聞として書く箇所、そういう位置ならこの高さは機能する。効かせたいのは光ではなく、語り手が対象からどれだけ離れて立っているかのほうだ、と自覚して置けばいい。

文: hakadoru.ai 編集部

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