まるで

【まるで】副詞

使い分けの視点

「あたかも」「さながら」は文章語の直喩に向き、前者は見立てを論理的に、後者は情景を格調高く示します。「ちょうど」は対応の正確さ、「ほとんど」は程度の近さを表します。「さも」は外見上そう装う含みを持ち、「まさしく」は同一性を強く認定します。「言ってみれば」は比喩を提案する口調です。

同義語

同品詞の類義語

あたかも文芸的
さながら文芸的
ちょうど
あたかも文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

さも文芸的
まさしく文芸的
言ってみれば

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

あたかもそれは文芸的
さながらに文芸的
ほとんど

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

比喩を先に予告するエッセイ関連

例文: 語り手は迷宮を生き物に見立てる前に比喩を先に予告することで、読者を揺れる床の描写へ導いた。

事実ではないと断ってから、届く

まるで子供だ、と言われた人が怒る。この場面には奇妙なところがあります。言った側は、相手が子供でないことを最初に宣言しているのです。文頭のこの副詞は「ようだ」「みたいだ」と呼応し、後続を字義どおりに受け取らないでほしいという合図として働きます。つまり形の上では、非難の内容はあらかじめ取り消されている。それなのに、評価だけは相手に届く。

語用論の道具立てで言えば、この副詞は比喩であることの標識であり、話し手と聞き手のあいだに一時的な契約を結びます。ここから先は事実の記述ではありません、という契約。契約があるから、聞き手は文字面の矛盾を咎めずに済む。同時に、契約は免責としても働きます。子供だと断定したわけではない、と後から言える。免責と攻撃が一つの文で両立している。間接的な言い方が丁寧さを作る仕組みと構造は同じで、ここではその同じ構造が、逃げ道を確保したまま人を刺すほうに使われている。

呼応の相手が落ちることがあります。まるで夢、で文が終わっても通じる。落ちても通じるのは、この副詞自体が比喩の枠を開く記号だからでしょう。ただ、ここで立ち止まりたくなります。逆に、この副詞のほうを落としても直喩は成立するのです。夢のようだ、で何も困らない。ならばこの語は何を足しているのか。足しているのは意味ではなく、順序です。比喩が来ると読者が知るタイミングを、文の頭に前倒ししている。処理の順番を変えているだけで、命題は変わらない。

順番の違いは、読む体験の側では小さくありません。予告があると、読者は比喩を受け取る構えを作ってから本体に入ります。安全に着地する代わりに、驚きは減る。予告なしに喩えへ踏み込む文は、読者を一瞬つまずかせてから意味を渡す——そのつまずきが強度になる場面がある。どちらが良いという話ではなく、地の文の温度をどこに置くかの選択です。多用すれば、語り手が読者を信用していないように見えてくる。

ややこしいのは、同じ形が別の仕事もすることです。まるで分からない、まるで通じない。この場合は比喩とは関係なく、否定を丸ごと強める働きに回っています。読み手は文頭でこの語を見た時点では、どちらの用法かを決められません。比喩の枠が開くのか、否定が来るのか、文末まで判断が宙吊りになる。日本語の述語末尾主義がここでも効いていて、文頭の合図は方向の予告であって内容の予告ではない、ということが分かります。予告としては、案外あいまいなのです。

一方で、予告そのものが人物の心理を写す場合もあります。目の前の出来事を受け止めきれていない視点人物は、事実の記述に入る前に、これは現実ではないと言い添えたがる。動揺している語り手ほど枠を先に立てる。そう考えると、この副詞の多さは語り手の未熟さではなく、その人物がいま何を怖がっているかの記録になりうる。使うか削るかを、効果ではなく人物の状態から決められるようになると、この語は急に便利になります。

文: hakadoru.ai 編集部

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