英語に移そうとすると、一語では収まりません。物が緩やかに動いているなら sway、判断が定まらないなら waver、足元が危ういなら totter、基盤そのものが崩れかけているなら shake の受動形あたりが選ばれる。訳語を選ぶという作業は、原語の側で縫い合わされていたものを解いていく作業でもあります。解いた断面を見れば、何が一緒に縛られていたのかが分かる。そう思って並べてみたところ、最初の見立ては半分しか当たっていませんでした。
素朴な整理はこうなります。日本語は物理的な動揺と心理的な動揺を一語で扱い、英語は分ける。しかしこれはすぐ反証が出ます。shaken は建物にも人の精神にも使えるし、shaky な手と shaky な根拠は同じ形容詞です。英語の側にも物理と心理をまたぐ語はいくらでもある。分節の粗さ細かさで説明するのは、対照言語学のいちばん安易な着地点で、たいてい外れます。
それでも解いた断面には、消えずに残るものがありました。自動詞であること、そして他動詞形をきちんと別に持っていることです。「揺るがす」という形が対で存在するため、自動詞のほうを選んだ時点で、揺らし手を文に呼ばないという選択が完了している。waver も自動詞ですが、こちらは二つの選択肢のあいだで振れるという含みが強く、迷う対象を要求します。日本語の自動詞のほうは、選択肢を要求しません。支えが失われて重心が定まらない、という状態だけで文が立つ。何と何のあいだで迷っているのかを言わずに済むわけです。
同じことは、日本語の内側の分業からも見えます。「動揺」という漢語は、現代の日常的な用法ではほぼ心理に限られる。船体の動揺のように物理の側へ残った専門用法はありますが、地の文で家具が動揺するとは書けません。心理側を漢語が引き受けたぶん、和語のほうは物理から心理までの連続した幅を保ったまま残った——分業の結果として、和語の側に広さが温存されたと考えると腑に落ちます。訳しにくさは、日本語が原理的に曖昧だからではなく、二系統の語彙が仕事を分け合った歴史の副産物ということになる。
経路は一方向ではありませんでした。物理学や工学で扱われる微小で不規則な変動には、この語の名詞形が訳語として当てられています。統計力学でいう fluctuation がそれで、さらに強度が周波数に反比例する変動を指す「エフ分の一のゆらぎ」といった言い方が、いつのまにか日常の語彙に流れ込みました。学術用語として輸入された意味が、もとの和語のほうへ逆流したことになる。そうなると現在の語感は、上代から連続してきた層と、翻訳を経由して二十世紀に加わった層の重ね合わせということになります。純粋な和語の感触として説明したくなる誘惑がありますが、実際には外来の意味が薄く混ざっている。語の歴史は、たいていこの程度には汚れています。
書く側にとって、この自動詞は便利であると同時に危険です。原因を書かずに状態だけを提示できるので、説明を省いた分の余白が読者の側で埋まります。ただしそれは、作者も原因を決めていない場合の逃げ場にもなる。判定はわりに簡単で、その一語のあとに人物の行動が変わるかどうかを見ればいい。歩みが遅くなる、言いかけて口を閉じる、握っていたものを置く。何かが変われば状態は書けています。何も変わらないなら、そこに書かれたものは状態というより作者の保留です。