英訳で手が止まったのは、肯定の側ではなく否定の側でした。当てこすりの台詞なら sarcasm や snide remark で運べる。ところが「嫌味のない笑顔」を英語にしようとすると、対応する語の否定形がどれも使えません。sarcasm の否定は、皮肉を言っていないという意味にしかならず、あの褒め言葉にはならない。
英語側の分節を並べてみます。irony は言っていることと意図していることのずれを指し、必ずしも攻撃を含まない。sarcasm はそこに棘が加わり、相手を刺す意図がはっきりする。snide は陰にこもった当てこすり。backhanded compliment は褒めるふりをして貶す発話の型。passive-aggressive は、直接ぶつけずに態度で示す振る舞い全般。どれも発話や態度の話です。
日本語のほうは範囲が違います。発話にも使う。人柄にも使う。そして物にも使う。嫌味な言い方、嫌味な男、嫌味な内装。さらに、「嫌味なほど整った横顔」という言い方まである。ここには攻撃の意図がありません。褒めているとさえ言える。英語側の候補は、この用法をひとつも拾えない。
そこで、核は攻撃ではなく過剰なのではないか、という見当が立ちます。度が過ぎている。多すぎる。整いすぎている。この線で引き直すと、内装の話も横顔の話も同じ屋根の下に入ります。
ただし、この仮説にはすぐ反例が出ます。「嫌味を言う」は、どう見ても攻撃です。過剰という説明だけでは、刺さっている棘のほうが落ちてしまう。
もう少し粘って、両方を含む形に直してみます。核にあるのは、隠されていない余分ではないか。必要な量を超えた何かが、覆いきれずにはみ出して見えている状態。言葉が余れば、言わなくていい一言が足されて当てこすりになる。装飾が余れば、部屋が鼻につく。美しさが余れば、整いすぎだと言われる。そして余分がゼロのとき、それが「嫌味がない」になる。
この形にすると、否定形が訳しにくかった理由も見えてきます。英語で近いのは unpretentious や understated で、どちらも「装いの過剰の否定」を表す語です。攻撃の否定ではなく、飾りの否定。日本語話者が笑顔を褒めるときに使っていたのは、実はこちらの系列だった。分節線が、攻撃/非攻撃ではなく、過不足のところに引かれていたわけです。
ここで注意すべきことも一つあります。訳せない、という言い方は便利ですが、往々にして雑です。実際には backhanded compliment のほうが日本語に訳しにくく、「褒めるふりをした悪口」と説明的に伸ばすしかない。訳しにくさは言語の優劣ではなく、分節線の引き方の違いが生む段差にすぎません。どちらの側にも段差はある。
創作の実務としては、書き分けの指針が一つ得られます。翻訳小説の会話では、棘のある応酬そのものが場面を進めます。日本語で同じ効果を狙うとき、棘の鋭さを上げるより、余分を一つ足すほうが効く。褒め言葉を一つ多く重ねる。敬語を一段だけ深くする。念を押す必要のない確認を挟む。刺さる原因は、鋭さよりも、はみ出しにあります。