夢見る

【ゆめみる】動詞

使い分けの視点

「夢見る」は眠りの像と将来への希求の二義を持ちます。「憧れる」は対象への距離、「思い描く」は具体像、「絵空事を描く」は実現性への疑いを帯びます。意味をしばらく確定させず、後の行動で夢か目標かを明かすと、語の揺れを仕掛けにできます。

同義語

同品詞の類義語

憧れる
空想する
思い描く

類義句

同品詞の慣用的言い換え

胸に描く文芸的
心に思い焦がれる文芸的
瞼に浮かべる文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

虹を追うような文芸的
蜃気楼に焦がれるような文芸的
物語を編むような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

うっとりとcolloquial
ぼんやりとcolloquial
切々と文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

憧憬文芸的
空想
思慕文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

想いを馳せる文芸的
心を遊ばせる文芸的
絵空事を描くcolloquial

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

夢を持つエッセイ関連

例文: 夢を持つことを求められた少年は、借り物でない目標を探して町を出た。

夢に付ける動詞は、言語ごとに違う

英語の She dreamed of the sea. を日本語にするとき、最初の分岐は語彙ではなく意味の切り分けです。眠っているあいだに海が出てきたのか、いつか海辺で暮らしたいと思い続けていたのか。原文はどちらとも決めずに置いておけます。前後の文脈が決めることもあれば、決めないまま章をまたぐこともある。ところが訳文の側では、動詞を選んだ瞬間にどちらかが確定してしまう。訳しにくさというのは、たいてい語が足りないことではなく、切れ目の位置がずれていることです。

夢に何をあてがうかは、言語によってはっきり分かれます。日本語は「見る」を使う。韓国語には、ほぼ夢としか結びつかない専用の動詞があり、名詞と動詞が同語源で対になっています。中国語は「する・作る」にあたる動詞を使う。フランス語にも「する」にあたる動詞で夢を組み立てる言い方があります。英語は名詞と同形の動詞を持ち、同族目的語を取って夢を夢見ることもできる。見るのか、作るのか、専用の動詞を立てるのか——夢が視覚の出来事なのか、行為の一種なのか、扱いが揃っていません。

逆向きに訳す場面では、別の非対称が出てきます。眠りの像を語るだけなら英語の動詞一語で足りますが、様子を述べる連体の形を英語へ移そうとすると、副詞が一語で待ち構えている。dreamily という形が既にあるので、日本語側で二つの要素を組み合わせて作った言い回しが、向こうでは一語に畳まれてしまいます。逆に日本語には、漢語の層が別に用意されています。夢想する、白昼夢。和語とは違う位置に立ち、それぞれ英語の別の単語の訳語として使われてきた語です。同じ概念のまわりに、和語と漢語と翻訳語が層をなしている。どの層を選ぶかで文の格も話者との距離も変わるため、対応表を作っても、一対一で埋まる欄はほとんど残りません。

日本語の内部でも、分業が起きています。助詞をはさむ言い方と、複合してひとつの動詞になった形が併存し、後者は比喩の側にかなり偏っている。昨夜こういう夢を見た、という報告に複合動詞のほうを使うと、座りが悪くなります。複合動詞は語彙化が進むと意味が固定し、元の要素の和からずれていく傾向があるとされますが、この語はその過程の途中経過が見える例だと言えます。二つの形が併存しているおかげで、書き手はどちらの意味かを、語形の選択だけで示せる。翻訳では失われがちな区別が、日本語側にはある。

意志の扱いにも、二つの形の差が出ます。眠りのなかの像は自分で選べないので、助詞をはさむ言い方に命令や意志の形を付けると据わりが悪くなる。今夜こういう夢を見ようと決めることは、誰にもできません。ところが複合動詞の側は、命令形も意志形も普通に通ります。夢見ていたい、と書けるのは、そちらが持続的な心の構えを指しているからです。英語の動詞のほうは、この二つを一語で抱えたまま、どちらの場合も命令形で使えてしまう。制御できる出来事とできない出来事の境目——日本語はそれを語形の分岐で引き、英語は引かずに済ませています。訳文に不自然さが出るのは、たいていこの境目をまたいだときです。

近代以降に増えたのは、所有の構文のほうです。夢を持つ、夢がある、という言い方。政治演説の翻訳を通じて広まったと語られることもありますが、その因果を断定できる材料は多くありません。確かなのは、所有の形になった時点で、夢が語られる対象に変わったということです。見るものは私的な出来事ですが、持っているものは他人に申告できる。所有構文の定着は、この語を公的な発話行為の中に引き入れました。就職の面接で聞かれる質問の形を思い浮かべると、その位置がわかります。訳の場面でも、この構文を選ぶかどうかは大きな分岐になります。所有の形にした訳文は、人物が自分の希求を人前で言葉にできる状態にあることを、それだけで前提してしまうからです。

作品の中で使うなら、この揺れをそのまま材料にできます。二つの意味が同居する語なので、読者はどちらとも決めずに読み進められる。人物が眠りの中の像を語っているのか、将来の希求を語っているのか、しばらく判定を保留させたまま進み、あとから片方に確定させる。翻訳では潰さざるを得ない二義が、原文の側では時間差の仕掛けとして使える。訳しにくい語というのは、その言語が独自に担当している範囲を指しているという意味でもあります。

文: hakadoru.ai 編集部

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