可愛らしい

【かわいらしい】形容詞

使い分けの視点

「可愛らしい」は直接の感情より、対象を見て性質を認める観察者の距離を帯びます。瞬間的な歓声には近い語を、仕草や佇まいを描写する地の文にはこの語群を選び、誰の視線かを明確にします。

同義語

同品詞の類義語

愛らしい文芸的
いじらしい文芸的
キュートなcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

愛嬌のある
胸をくすぐる文芸的
ほっこりさせるcolloquial

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

雛鳥のような文芸的
人形めいた
花芽のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

ちんまりとcolloquial
いじらしげに文芸的
ふんわりと

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

頬を緩ませる
心を和ませる文芸的
胸をときめかせる文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

愛嬌
あどけなさ文芸的
童心文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

目を奪うほどの
目が離せないcolloquial
ことさらに慕わしい文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

観察者のまなざしエッセイ関連

例文: 観察者のまなざしが、弟子の不器用な結び目に愛らしさを見つけた。

顔映ゆしから観察者の語へ——語源と接尾辞の二段構え

顔がほてって、まぶしくて、まともに見ていられない。そういう身体感覚を表す古語に「おもはゆし(面映ゆし)」があり、今も「面映ゆい」として残っています。「かわいらしい」の核にある「かはゆし」も、これと同じ作りの「かほはゆし(顔映ゆし)」が縮んだ形だとする説が有力とされています。語源説に断定は禁物ですが、この説に従うなら、出発点にあったのは愛らしさではなく、直視できないという感覚だったことになる。

実際、中世の用例では「かはゆし」は「気の毒だ」「見るに忍びない」に相当する意味で使われていたことが知られています。弱く小さいもの、傷ついたものを前にして目を伏せたくなる感情が先にあり、そこから庇護の情を経て、「愛らしい」という現在の意味へ移っていった。意味の良化と呼ばれる変化の、教科書的な一例です。そして古い意味は消えたわけではありません。「かわいそう」という形の中に、憐れみの側の意味が今も封じ込められている。同じ根から出た二つの語が、愛と憐れみを分担して受け持っているわけです。

さて、この語はそこにもう一つ部品を足しています。接尾辞の「らしい」です。「子供らしい」「春らしい」のように、「らしい」は「その性質を十分に備えている」という判断を作ります。注目すべきは、この接尾辞が話し手の直接の感情ではなく、観察に基づく認定を表す点です。「かわいい」と言うとき、話し手は自分の心の動きを述べています。「かわいらしい」と言うとき、話し手は対象の性質を認定している。挟まる「らし」は二拍にすぎませんが、視線の構造が違う——前者は感情の告白に近く、後者は描写に近い。同じ構図は「憎い」と「憎らしい」、「愛しい」と「愛らしい」の対にも見られます。「らしい」が挟まると、感情の当事者だった話し手が、半歩下がって観察者の席に移る。接尾辞一つが視点の位置を動かすわけです。

ややこしいのは、同じ音の助動詞が別にあることです。「雨が降るらしい」の「らしい」は推量を作り、話し手が伝聞や根拠に基づいて判断していることを示します。接尾辞のほうは語を作り、助動詞のほうは文を作る。品詞としては別物ですが、音が同じであるために、両者の含みは互いに滲みます。この形容の中に、対象を直に断定していないような気配がわずかに残るのは、その滲みのせいだと考えられます。断定を避ける音が、語の内部に組み込まれているとも言えます。観察者の位置は、意味の構造からだけでなく、音の連想からも支えられているわけです。試しに「かわいいらしい」と言えば、たちまち推量の助動詞のほうに読まれます。二つを分けているのは、前に来る形の違いだけです。

接尾辞の付き方にも偏りがあります。「らしい」は普通、名詞や形容動詞の語幹に付きます。男らしい、春らしい、いやらしい。形容詞の語幹に直接付いた例は数えるほどしかなく、憎らしい、この語、あとは限られた古い語くらいです。うれしらしい、寒らしい、といった形は作れません。つまりこの形容は、いま働いていない作り方で成立した、例外に属する語だということになります。例外的な作られ方をした語が長く残るのは、その形でしか言えないことがあるからでしょう。感情を告白せずに対象を認定する席が、他の言い方では空いたままだった。同じ型の語を新しく作れないぶん、この形には代わりが利きません。近い意味の語はいくつもありますが、観察者の席をこれほど短く名指せる形は、ほかに見当たらないのです。

だからこの語には、わずかな距離が宿ります。年長者が年少者を評するとき、店先の小物を品定めするとき、他人の飼い犬を褒めるとき。対象に呑み込まれていない、観察者の位置から発される形容です。小説の地の文でこの形を選べば、視点人物の冷静さや、対象との心理的距離が静かに示せます。逆に、恋愛感情の渦中にある人物の独白でこれを使うと、距離の取り方が不自然に響くことがある。感情の只中では、人は認定ではなく告白の形を選ぶからです。

語源の話に戻って締めくくります。この語の来歴をたどると、「見ていられない」から始まり、憐れみを経て、いまや「よく見て、認定する」語になりました。目を伏せる語が、目を注ぐ語へ——正反対の位置まで歩いてきたことになります。数百年単位の変化ですが、書き手にとっては他人事ではありません。一つの語の中に堆積したこの視線の歴史を知っていれば、誰にどの場面でこの形容を言わせるかという選択が、それだけ精密になります。

文: hakadoru.ai 編集部

エディタで直接置換して執筆を加速

SaaS エディタではシソーラスの結果をワンクリックで本文に反映できます

無料で始める →