寛容

【かんよう】形容動詞

使い分けの視点

赦しが過去の一行為へ向かうのに対し、寛容は相容れない存在や在り方を受け入れ続ける持続です。徳を台詞で説かせず、罰する権利を持つ人物の逡巡や、受け入れがたい相手と同じ場に残る行為で見せます。好ましい相手ではなく、土台を脅かす相手が試金石になります。

同義語

同品詞の類義語

度量の大きな
大らかな
懐の深い文芸的
鷹揚な文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

目をつぶるcolloquial
赦しを惜しまぬ文芸的
情けに厚い文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

大海のような文芸的
母なる河のような文芸的
大空のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

おおらかに
にこやかに
咎めもせず文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

許しを与える文芸的
包み込む
大目に見るcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

度量
包容文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

目くじらを立てないcolloquial
どこまでも受け止める
間口の広い文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

耐え続けるエッセイ関連

例文: 理解できない慣習を排除せず耐え続けることは、好意より重い選択だった。

耐えることから始まった徳——七十余年前の長い題名を読み直す

一九五一年、フランス文学者の渡辺一夫が「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という、異様に長い題の文章を発表しました。題そのものが問いであり、しかも容易には答えの出ない問いです。踏みにじってくる者まで受け入れ続ければ、受け入れるという営みごと滅ぼされかねません。かといって同じ武器で応戦すれば、こちらの顔も相手と同じになっていきます。敗戦から六年目の日本語の中で、この語は人柄をほめる形容ではなく、思想の緊張を支える言葉として試されていました。

この語の背後には、ヨーロッパの長い流血の歴史があります。十八世紀フランスで、新教徒の商人ジャン・カラスが息子殺しの冤罪によって処刑された事件をきっかけに、ヴォルテールが『寛容論』を書いたのは一七六三年でした。信仰が違うというだけで人が殺されることへの抗議が、この概念を鍛えた原点のひとつです。さかのぼれば、ラテン語のトレランティアは「耐えること」を意味しました。原義において、これは相手を好きになる徳ではありません。受け入れがたいものを、それでも排除せずに耐え続ける——消極形の徳です。近代日本語がこの語を西洋語の訳語として用いるようになったとき、「耐える」という芯はどこまで一緒に運ばれたのでしょうか。日本語のこの語には穏やかで円満な印象がまとわりつきやすく、原語の持つ歯を食いしばるような手触りは、翻訳の過程でいくらか漉し取られたように思われます。

文学の側から眺めると、この語には偏りがあります。評論や随想では繰り返し主題になるのに、小説の台詞としてはあまり生きません。登場人物に「大切なのは寛容だ」と語らせた瞬間、その人物は物語の外から降りてきた説教者に見えてしまうのです。渡辺の文章が今も読まれるのは、答えを配っているからではなく、緊張を緊張のまま差し出しているからでした。物語がこの主題を扱うときに求められるのも、結局は同じ姿勢です。裏切った友を前にした長い沈黙、罰する権利を持つ者の逡巡、受け入れると口では言いながら固くこわばる肩——語を出さずに、語の中身を人物に演じさせます。名指しされた徳は色あせ、演じられた徳だけが読後に残ります。

実務的には、隣の概念との切り分けが役に立ちます。赦しは過去の特定の行為に向かい、この語は相手の存在の仕方そのものに向かいます。一度の裏切りを赦すことは一回の決断であり、場面として書けます。自分と相容れない生き方を受け入れ続けることは持続であり、場面と場面のあいだに滲ませるしかありません。時間の構造がそもそも違うのです。そしてもうひとつ、渡辺の問いが書き手に教えてくれるのは、この徳が試される瞬間の条件でしょう。好ましいものを受け入れるのに、徳はいりません。試金石になるのは、受け入れがたいもの、こちらの土台そのものを脅かすものが現れたときだけです。物語に引きつけて言えば、主人公の度量は、愛せる相手ではなく愛せない相手によって測られる。試されていない寛容は、まだ寛容ではない。七十余年前の長い題名は、この残酷な条件を今の書き手にまっすぐ突きつけてきます。

文: hakadoru.ai 編集部

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