英語の tradition と traitor、つまり伝統と裏切り者は、同じラテン語の tradere に遡るとされます。trans(越えて)と dare(与える)の複合で、意味は「引き渡す」。何かを次の世代へ引き渡すことと、味方を敵へ引き渡すことが、一つの動詞から分かれていった。語源の説明としてはよく紹介される話ですが、ここで効いてくるのは倫理的な皮肉ではなく、動作の像のほうです。この語根が抱えているのは、手から手へ物が移る、という水平方向のイメージでした。
ドイツ語の Überlieferung も同じ構造をしています。über(越えて)と liefern(引き渡す)。フランス語の tradition はラテン語をそのまま継いでいます。西欧の主要言語では、この概念の中心にあるのは一貫して手渡しです。渡す人がいて、受け取る人がいて、両者は同時代に並んで立っている。一方、漢語の「伝統」は別の像を持ちます。伝は継いで渡すことですが、統は糸すじ、束ねること。系統、統一、血統、正統——統の付く語には、源から一本の線が流れ出ているという感覚が共通しています。手渡しが横の連鎖なら、糸すじは縦の系譜です。片方は隣にいる人へ渡す動作、もう片方は上流から下流へ流れる線。
日本語で「伝統」が抽象名詞として定着したのは近代以降で、tradition の訳語として広まったという説明が一般的です。それ以前の日本語がこの領域で使っていたのは、故実、家例、しきたり、慣わしといった、もっと局所的で具体的な語でした。ある家の、ある流派の、ある土地のやり方。「伝統」という総称が必要になったのは、他国の伝統と自国の伝統を並べて比べる視点が生まれたときだと考えられます。比較の枠が先にあって、枠に入る抽象名詞が後から要請された。訳語というものは、しばしばこの順番で生まれます。
訳しにくさは、修飾できる対象の範囲に現れます。traditional Japanese house は日本の伝統的な家屋で問題ありません。ところが英語で he's very traditional と言うとき、これを「彼はとても伝統的だ」と訳すと日本語として据わりが悪い。「昔気質だ」「保守的だ」あたりに落ちます。英語の traditional は人の性向にも自然に付きますが、日本語の「伝統的」は事物、様式、技法、行事に付きやすく、個人の性格には付きにくい。糸すじの比喩で考えれば理由が見えます。系統に属するのは流派や様式であって、一人の人間は系統そのものにはなりにくい。分節の差が、そのまま共起の差になっています。
書くときに使える形にすると、こうなります。「伝統的な」と置く前に、横の手渡しを書きたいのか、縦の糸すじを書きたいのかを決める。手渡しなら、渡した人と受け取った人が必要です。師匠が湯呑みの持ち方を直した、という具体が一つあれば足ります。糸すじなら、源が必要です。何年前に誰が始めたのか、あるいは始まりが分からないという事実そのものを書く。どちらも欠いたまま「伝統的な」だけを置くと、権威の語感だけが宙に浮き、読者は根拠のない敬意を要求されたように感じます。この語は、内容を要約する語ではなく、内容がすでに提示された後で貼るラベルとして働くときに、いちばん静かに機能します。