では

【では】接続詞

使い分けの視点

場面を改まって切り替えるなら「それでは」、軽い会話なら「じゃあ」が自然です。「さて」は新しい話題、「ならば」「とすれば」は条件からの推論、「そういう訳で」は前の事情を理由として受けます。「しからば」「いざ」は古風で決意が強いため、人物の時代感と切り替えの温度を揃えます。

同義語

同品詞の類義語

それでは
さて
じゃあcolloquial
しからば文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

そういうことならcolloquial
そういう訳で

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ならば文芸的
とすれば
いざ文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

区切りエッセイ関連

例文: 夜明けの鐘が長い籠城に区切りをつけ、兵士たちは武器を置いて交渉の卓へ向かった。

切り替えるエッセイ関連

例文: 船長は追悼を終えると声を切り替えることで、生存者を救う次の作業へ皆を導いた。

前件肯定の身振り——場面を切る語に中身がない理由

「では、始めましょう」と誰かが言うと、部屋の空気が変わります。何を始めるのかは言っていない。なぜ今なのかも言っていない。それでも人は資料を閉じ、姿勢を直す。中身を持たない一語が、場面の境目を引いてしまう——引かれた境目は、内容によって支えられていないぶん、かえって崩れにくい。反論する材料が相手の側にないからです。「その議題はまだ終わっていません」と言うことはできても、「その一語は不当です」とは言いにくい。何も主張していない発話には、反証がぶつからない。

論理の道具を借りると、この語のふるまいが少し見えます。含意、つまり P ならば Q という形は、前件 P が偽であっても全体としては真になります。何も起きていないところで「A ならば B」と宣言しても、それだけでは何も進まない。この語はその空転を許しません。前件が成立したことを確認したうえで、次へ移る合図として置かれる。論理式に対応させるなら、含意そのものではなく、前件肯定の身振りに近い。P があり、P ならば Q が成り立つ、ゆえに Q——この三段目への移行だけを担当していて、P も P→Q も自分では語らない。語らないのに、両方が揃っていることを聞き手に前提させる。省略された二段が、聞き手の頭の中で勝手に補われます。

会議の場に本当に P はあるのか。しばしばありません。議論が尽きていなくても、時間が来れば言われます。前提が成立したことにして先へ進む、という運用です。ただ、そこで面白いことが起きる。そう言われると、前提は実際に成立したものとして扱われてしまう。推論の三段目にすぎない合図が、遡って一段目を作る。この向きの逆流は論理の中では起こりません。結論を書いたからといって前提が真になることはない。ところが談話の中では日常的に起こり、しかも咎められない。異議を申し立てるには、すでに閉じられた区間へ戻る手間を引き受ける必要があるからです。

もう一つ、区分的に定義された関数の形を思い浮かべると腑に落ちる部分があります。x が負のときはこの式、0 以上のときは別の式。定義域を切り、区間ごとに違う規則を割り当てる書き方です。この語も同じ形をしている。ここまでの規則を閉じ、次の区間へ移ることだけを告げて、区間の中身には関与しない。境界に立つ記号であって、関数の値を決める部分ではない。区分的な定義でしばしば問題になるのは、境界の点でつながっているかどうかです。会話でも同じことが起こる。前の話題の温度と次の話題の温度が離れすぎていると、切り替えの一語だけでは接続が保てず、聞き手はそこで置き去りになります。

そう考えると、乱発が何を壊すかもはっきりします。膠着した対話を切るのに、これほど手数の少ない道具はありません。安いから何度でも使える。けれど区分の記号を一行おきに書き入れれば、区分そのものが意味を失う。境界は、両側の区間が十分な長さを持っているときにだけ境界として見える。切る語を効かせたいなら、切られる側を先に太らせておくしかない。

文: hakadoru.ai 編集部

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