顔を曇らせる

【かおをくもらせる】動詞句

使い分けの視点

顔の「曇り」は、感情が暗くなることと、内心が読めなくなることの両方を含む中間的な表現です。焦点人物には、目元の影や口元の力へ降りるのか、観察者の困惑を書くのかを選ぶと、何が起きたかを曖昧にしません。

同義語

同品詞の類義語

沈む
翳る文芸的
暗くなる

類義句

同品詞の慣用的言い換え

眉を曇らす文芸的
表情を翳らせる文芸的
心を陰らせる文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

曇り空のような
雨雲のように文芸的
夕影のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

沈痛に文芸的
浮かない顔でcolloquial
暗い面持ちで文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

憂愁文芸的
陰り文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ため息をつく
肩を落とす
目元を翳らせる文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

読めない表情エッセイ関連

例文: 返答の直前に現れた読めない表情が、交渉官を最も不安にした。

暗くなるのか、読めなくなるのか——多義の枝の選びそこね

冬の朝、洗面所の鏡が白くなって、手のひらで拭う。あの「曇る」と、人の表情について言う「曇る」は、同じ語です。けれど起きている現象はまったく違います。鏡の場合は表面に微細な水滴が付いて、向こう側が見えなくなる。顔の場合は水滴など付きません。同じ動詞が両方を引き受けているのなら、どこかに共通の芯があるはずで、その芯が何なのかを決めかねているうちに、この語の使い方も決まらないままになっていました。

枝を並べてみます。空が曇る、鏡が曇る、眼鏡が曇る、声が曇る、そして表情が曇る。空の場合、起きているのは遮蔽です。光源が隠れて、地上が暗くなる。鏡や眼鏡の場合は遮蔽ではなく、透明性の喪失です。光量は変わらないのに、向こう側の像が読み取れなくなる。暗くなることと、読み取れなくなること。この二つは似て見えますが、別のできごとです。どちらをこの語の中心と見るかで、体系の形が変わってしまう。

では表情はどちらの枝の子なのか。ここで決着がつきません。暗さを取れば空の系列で、悲しみが表情を沈ませたという読みになる。読み取れなさを取れば鏡の系列で、内心が隠されて外から窺えなくなったという読みになる。実際の用例を思い返すと、両方が混ざっている気がします。そしてこの不定さこそが、この表現の使いやすさの正体らしい。焦点がぼやけているから、どんな感情の場面にも置ける。置けるから、誰もが置く。

対になる表現を探すと、語彙のほうも選び切っていないことが見えてきます。曇るの反対は晴れるはずですが、顔を晴らす、とは言いません。顔が晴れる、も落ち着かない。晴れやかな顔、晴れ晴れとした表情、という形容詞の側でだけ天候の語彙が生き残っています。動詞形では対を作れないのに、形容詞形なら対になる。この歪みは、慣用句が体系として設計されたのではなく、一つずつ別々に定着したことの痕跡でしょう。実際、この表現の反対側に置かれているのは、顔を輝かせる、のほうです。天候の系列から光源の系列へ、対義語を作るところで乗り換えている。枝を選びそこねているのは書き手だけではありません。他動詞形が立つかどうかにも、同じ不揃いが出ます。息で鏡を曇らせる、とは言えるのに、空を曇らせる、はまず使わない。気象の変化を人の行為に帰せないからです。ところが表情のほうは他動詞形が定着していて、しかも隠れた主語は本人になる。自分で自分の顔を曇らせるという奇妙な使役が、慣用のなかで固まったまま誰にも咎められていません。

三つの枝に共通するものを探すと、程度の連続性だけが残ります。空は少し曇ることができ、鏡も部分的に曇り、表情もわずかに曇る。どの場合も途中の段階が言えます。遮蔽か透明性の喪失かという分岐の下に、もっと薄い共通の芯があるとすれば、それは何かが一様に減っていく形のほうかもしれません。光量が減る、像の解像度が減る、表情から読み取れる情報が減る。減るものの中身は違っても、連続的に減るという形だけが共有されている。この見立てが正しければ、書き手がまず決めるべきなのは枝ではなく、減り方の速度と量だということになります。一瞬で落ちたのか、話しているあいだに少しずつ落ちたのか。

語彙の階層のほうからも似た結論に行きつきます。表情の変化を表す語には、おおまかな上位語——表情を変える、といった言い方——があり、その下に具体的な下位語が並びます。眉をひそめる、唇を噛む、視線を落とす。これらは筋肉の動きを名指していて、読者の頭の中に一意の像が立つ。この表現は、その中間の層にいます。変化の方向だけを指定して、身体のどこがどう動いたかは指定しない。抽象度が中途半端に高いのです。自分の観察を疑っておくと、中間層が常に劣っているわけではありません。会議室に並んだ何人かの反応をまとめて処理したいとき、下位語まで降りると描写が重くなりすぎる。読者が細部を必要としない人物には、中間層がちょうどよい。使い分けの問題であって、語の問題ではない。

焦点人物に使うときだけ、判断が要ります。書き手はまず、暗さを見せたいのか読み取れなさを見せたいのかを自分で決める。暗さなら、目の下の翳りや口元の力の抜け方といった、明度に関わる細部へ降りる。読み取れなさなら、視線が動かなくなったこと、相槌の間隔が伸びたこと、何を考えているか分からなくなったという観察者側の困惑へ降りる。同じ一行から、まるで違う場面が二つ出てきます。

文: hakadoru.ai 編集部

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