目を伏せる

【めをふせる】動詞句

使い分けの視点

「目を伏せる」は下方への動きに加え、礼、羞恥、拒絶のどれとも読める余白を持ちます。「視線を落とす」は行き先を置けますが、「伏し目」は状態や人物像を固めます。動作だけで内面を決めず、相手との立場や直前に見たものを添えて解釈を絞ります。

同義語

同品詞の類義語

うつむく
視線を落とす文芸的
瞼を閉じる文芸的
顔を伏す文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

視線を膝に落とす文芸的
睫毛を伏す文芸的
目線を下げる

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

祈る人のような文芸的
睫毛で影を作るように文芸的
蝋燭の灯りを覆うような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

しおらしく文芸的
そっとcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

うつむき
伏し目文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

視線を足元に置く文芸的
睫毛を落として黙る文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

礼の作法エッセイ関連

例文: 礼の作法として下げた目を、若い使節は合図と同時にまっすぐ上げた。

訳せる語と訳せない作法——lower one's eyes をめぐって

英語の小説を日本語に移す作業のなかで、この動作はほとんど問題を起こしません。lower one's eyes、cast down one's eyes、drop one's gaze。どれも目を下方へ動かすことを言っていて、日本語側にぴたりと嵌る形があります。目的語に「目」を取る点まで一致している。語と語が一対一で向かい合っている、珍しく幸福な区画に見えます。

ところが、隣の語を並べると輪郭が崩れます。avert one's eyes は、下だけでなく横へも逸らす。日本語の「伏せる」は下方向に限定されていて、横は含みません。逸らすのほうが avert に近く、伏せるはその下位区分にあたる。つまり英語側は方向を指定しない動詞を中心に持ち、日本語側は方向を指定する動詞を中心に持っている。分節の刻み目が一つずれている。訳語が見つかることと、意味の場が同じ形をしていることは別のことです——一語の対応は、その周囲の地図まで保証してはくれません。

もう一つ、日本語側にだけ張り出している系列があります。「伏せる」は本を伏せ、カードを伏せ、名を伏せる。表を下に向けて隠す、という用法群を同じ語形が抱えている。lower にこの系列はありません。だから日本語の「目を伏せる」には、英語話者が lower one's eyes に感じないはずの、隠匿のかすかな残響がある——と、ここまで書いて自分で疑わしくなります。語源的な連想は、現代の書き手や読者に本当に届いているのか。「本を伏せる」と「目を伏せる」を同じ棚に置いて読んでいる人が、どれほどいるのか。多義語の他の語義は、たいていの場面で沈黙しています。

それでも訳しにくさは残ります。残る場所が語彙ではなかった、というだけです。東アジアの文脈では、目を伏せることが長く礼の作法として制度化されてきました。漢語に「低眉順眼」という言い方があり、仏教彫刻の伏し目もこの系列に連なります。上位者を正視しないことが敬意の表明である、という規範が動作に貼りついている。一方、西洋の小説で伏せられる目は、多く羞恥・服従・敗北の側に読まれます。同じ筋肉の動きが、社会的には別の記号として流通してきた。翻訳者は lower one's eyes を「目を伏せる」と置き換えられますが、その語に貼られたコードまでは持ち込めません。読者が自分の側のコードで読み直してしまうからです。

日本語側の装備をもう少し見ておくと、「伏し目」という名詞形があり、「伏し目がち」という形容の型がある。動作が名詞に固まり、さらに頻度の副詞的な修飾を受けて、性格や習慣の記述にまで届いている。英語の downcast eyes も形容として働きますが、こちらは状態の描写にとどまり、人物の恒常的な傾きまでは一語で背負いにくい。日本語では「伏し目がちな人」と書くだけで、その人物の対人姿勢が一つ決まります。

だとすれば、日本語で書くときに決めておくべきことは一つです。目を伏せたその人物が、礼を示しているのか、恥じているのか、単に見たくないものから降りているのか。動作だけを置けば、読者はそれぞれの規範で埋めます。地の文が一語でも方向を示せば埋まらない。訳しにくいものは、たいてい書くときにも指定を要求してきます。

文: hakadoru.ai 編集部

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