顔を覆う

【かおをおおう】動詞句

使い分けの視点

顔を覆う動作は悲嘆、羞恥、敗北を外から記録する書き言葉で、覆うほど隠した感情の存在が際立ちます。袖なら古典的な湿度、手なら即時の衝動、簡素な所作なら抑制が出ます。どの位相の身振りかを選んでください。

同義語

同品詞の類義語

隠す
塞ぐ
覆い隠す文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

両手で目を覆う
袖で目元を隠す文芸的
うつむいて顔を伏せる

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

霧に包まれたような文芸的
幕を引くように文芸的
雨戸を閉めるような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

両手で
そっと
深く

体言的言い換え

用言を体言に変換

羞恥文芸的
嘆息文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

目を伏せる
うつむく
袖で目を隠す文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

覆うことで示すエッセイ関連

例文: 報道陣の前で遺族が顔を覆うことで示す悲嘆を、記者は動作だけで記した。

袖、シオリ、常套句——同じ動作を呼ぶ幾つもの声

能の舞台では、泣くという激しい感情の場面が、しばしば最も静かに演じられます。役者は片手をゆっくり持ち上げ、目の高さにかざす。シオリと呼ばれる型です。涙を拭うのでもなく、突っ伏すのでもなく、手のひらひとつ分だけ視界を遮る。この抑制のきいた所作を、観客は「泣いている」と読みます。約束事が共有された舞台の上では、顔を覆う動作は最小限で足りる。むしろ最小限であるほど深く伝わるという逆説が、この芸能には根づいています。同じ動作が、場所と時代と文体によってまったく違う名で呼ばれ、違う感情を割り当てられてきた——この語を考えるときは、その地層ごと見るのが早道です。

時代を遡ると、この動作は「袖」を経由して言葉になっていました。王朝の和歌や物語では、泣くことは袖を濡らす、袖を絞ると表現される。手で直接顔を隠すのではなく、着物の長い袖が顔と外界のあいだに入るのです。素材が語彙を決めた例だといえます。垂れる袖という物質的な条件があったからこそ、悲しみの表現は袖のまわりに集まり、歌語として磨かれていった。同じ身振りでも、どんな衣服の時代に生きているかで、それを言い表す言葉は変わります。洋装が標準になった現代の小説で袖を使った表現を選べば、それだけで文章に古典の衣擦れが混ざる。語彙は衣服より長生きするからです。

現代でこの表現が最も安定して生息しているのは、報道の文体です。「遺族は顔を覆った」という一文は、事件記事の定型に近い。報道文は人の内面を断定しない規範を持つため、泣き崩れたと書く代わりに、外から見えた動作だけを記録します。一方、日常会話でこの言い回しを使う人はほとんどいません。昨日は思わず顔を覆ったよ、とは言わず、手で顔を隠しちゃった、と言う。つまりこれは書き言葉、それも他人を外側から描写する文体に偏って住む表現なのです。同じ動作を指す言葉が、話し言葉と書き言葉で別の顔をしている。

位相はさらに枝分かれします。漫画やアニメでは、口元を袖や扇で覆う仕草が「上品なお嬢様」の記号として型になっている——言葉づかいが人物類型を告げるのと同じ働きを、ここでは身振りが担っています。インターネットの口語では、見ていられない恥ずかしさを「顔を覆いたくなる」と言う用法が広まりました。スポーツ中継にも独自の型があります。敗れた選手がタオルで顔を隠すと、カメラは必ずその姿を抜き、実況は沈黙するか、声を落とす。タオルの下で何が起きているかは映っていないのに、視聴者は全員それを了解する。悲嘆を担当する報道の位相、育ちの良さを担当する物語記号の位相、羞恥を担当するネット口語の位相、そして敗北を担当する中継の位相。ひとつの動作が、生息地ごとに別々の感情の受け持ちになっています。

書き手にとって、この断層はそのまま道具になります。どの位相から借りるかで、場面の温度と時代の匂いが決まる。袖で覆えば王朝の湿度が、シオリを思わせる抑制なら静かな品格が、報道体の一文なら突き放した距離が生まれます。そして、どの位相を選んでも変わらない一点がある。物語の中で顔を覆った人物は、隠すことによって、隠したいものの存在をかえって読者に手渡してしまう。覆うことは、示すことである。

文: hakadoru.ai 編集部

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