見知らぬ顔

【みしらぬかお】名詞句

使い分けの視点

「見知らぬ顔」は文語の否定連体形「ぬ」を残し、初対面の人物をやや物語的に示します。「面識のない顔」は事実を硬く述べ、「覚えのない面立ち」は記憶への疑いを含みます。語り手の文体と人物の語彙水準に合わせ、顔つきや相貌の硬さを選びます。

同義語

同品詞の類義語

知らない顔つき
覚えのない面立ち文芸的
馴染みなき相貌文芸的
面識のない顔

類義句

同品詞の慣用的言い換え

名乗りを聞かない顔
記憶にない人影の顔
誰とも判別のつかない面文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

白紙のような表情文芸的
他人の家のような顔つきcolloquial
署名のない肖像のような顔文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

誰だか思い出せずにいる
相手の顔と名が結びつかない

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

縁の薄い顔
胸騒ぎのする初対面の顔文芸的
ちょっと覚えのない顔colloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

否定連体形エッセイ関連

例文: 「ぬ」という否定連体形を残した語りは古風でも、易しい「顔」と結ぶため読みやすかった。

「ぬ」で終わる連体形が、原稿の上で古びない理由

原稿の表記を揃える作業をしていると、この句のところで手が止まることがあります。前半を漢字で押すか、後ろだけ開くか。仮名にすると柔らかくなる代わりに、句の輪郭がぼやける。全部漢字にすると硬すぎる。判断の材料を探して送り仮名の規則にあたっても、内閣告示の送り仮名の付け方は動詞の活用語尾を送るという原則を示すだけで、この句が抱えている問題には触れていません。問題は送り方ではなく、末尾の一音のほうにあるからです。

その一音は、文語の打消の助動詞の連体形です。現代の口語で否定を作るなら「ない」を使いますが、この句を「見知らない顔」と書き換えると、意味は通っても句として立たなくなる。文語形が、連体修飾の位置でだけ現代文に残っている。同じ現象はほかにもあって、思わぬ、絶えぬ、言わぬが花。いずれも連体か慣用句の中で化石化しています。表記の観点から見ると面白いのは、この一音が漢字で書けないことです。漢字仮名交じり文の中で、文語の骨格だけが仮名として露出している。硬さの正体は、漢字よりも、実はこの仮名一文字のほうにあります。

肯定形の側も歪んでいます。「見知った顔」は使えますが、現在形で「見知る」と言う機会はほとんどなく、挨拶の慣用の中に「お見知りおき」という形で残っているくらい。つまりこの動詞は、タ形と否定連体形という二つの窪みにだけ溜まっている。表記の揺れが起きにくいのはそのためです。使用形が限られている語は、書き方の選択肢も自然に狭くなる。逆に活用の全域が使われている動詞ほど、送り仮名の揺れは大きくなります。

後半の名詞は、事情が正反対です。こちらは表記の選択肢が多い。常用漢字表に入っている素直な一字で書くこともできるし、面立ち、相貌、容貌といった語に置き換えることもできる。ただし、これらに使われる字の中には常用漢字表の外にあるものが含まれ、媒体によってはルビが要る。ルビが付いた瞬間、その語は「読者が読めないかもしれない語」として扱われたことになり、地の文の格が一段上がって見える。表記の選択が、そのまま語り手の教養の演出になってしまう。

ここで一度、自分の言い分を疑っておきます。表記の差は所詮見た目であって、音読すれば消えるのではないか。実際、朗読された文章では漢字か仮名かの区別は聞こえません。だとすれば、表記論は視覚的な装飾の話にすぎない。——けれど、消えないものが一つある。文語の連体形は、音読しても文語のままです。仮名か漢字かは音で消えるのに、活用の形は消えない。表記の選択は消える差と消えない差を含んでいて、混同すると、装飾を直したつもりで骨格を直しそこねる。

だから実務としては、順序を決めておくのが早い。まず末尾の文語形を残すか外すかを決める。これは文体の骨格に関わるので、原稿全体で統一する。そのうえで名詞側の漢字を選ぶ。こちらは場面ごとに変えてよく、視点人物の語彙水準に合わせられる。硬い骨格に易しい名詞を載せると、古風だが読みやすい語り手が立ち上がる。逆にすると、無理をしている語り手になる。どちらも書けるということが分かっていれば、迷いは表記の迷いに収まって、文体の迷いにまでは広がりません。

文: hakadoru.ai 編集部

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