自分の原稿から語彙の頻度表を作ると、上位に来るのはたいてい予想どおりの語です。助詞、代名詞、基本的な動詞。驚きがあるのはもっと下、五十位から二百位あたりの帯で、そこに自分でも意識していなかった常用語が並びます。感情を表す動詞は、多くの場合この帯に落ちてきます。
感情を表す語彙は、日常の口語でも使える層と、書き言葉でしか顔を出さない層の落差が大きい語群です。怒る、不安といった語は誰の原稿にも高い位置で現れ、憤懣や鬱屈のような語は数えるほどしか出てこない。この動詞は、そのどちらでもない中間帯にいます。日常語ほど透明ではなく、書き言葉専用の語ほど目立たない。使い勝手がよいと感じられるのは、この位置のおかげです。
共起を見ると、性格がもう少し細かく出ます。原因はニ格で来る——物音に、遅延に、自分自身に。ヲ格を取らないので、対象を能動的に処理する構えにはなりません。名詞化した形は「覚える」「募る」といった動詞と結びつき、感情を所有物ではなく到来物として扱う。様態を作る形は推量の色を帯びて、外から観察された姿になる。同じ語幹から出た形が、内側からの記述と外側からの記述にはっきり分かれている。
表記も三層に分かれます。漢字を当てた語形、仮名書きの語形、そして繰り返しの擬態語。三つは同じ感情を指しながら、置かれる場所が違う。会話文には擬態語が寄り、地の文には名詞形が寄る、というのが手元で見てきた傾向です。ただしこれは調査に基づく数字ではなく、印象の域を出ません。確かめたければ、自分の原稿で数えるほうが早い。
数え方そのものにも落とし穴があります。この語は派生形が多い。動詞の活用に加えて、名詞形も、様態を作る形も、独立した語形として現れる。表記の揺れが重なれば、さらに散らばります。語形のまま数えると一つ一つの出現回数は小さく見え、頻度表の上位には上がってきません。まとめて一つの見出しに寄せてはじめて、実際にどれだけ使っているかが姿を現す。形態素解析の設定ひとつで、同じ原稿の頻度表が別の顔になる——数えるという作業は中立ではなく、何を同じものと見なすかを先に決めてしまっています。
二語の連なりで数えると、また違うものが見えます。単語の単位では平凡でも、直前に来る語の顔ぶれが狭いことがある。無意識のうちに、動詞ではなく二語の塊をひとつの部品として引き出しているためでしょう。書き手の癖は、単語よりも連なりのほうに出ます。単語の頻度表に異常が見当たらないのに文章が単調に感じられるとき、疑うべきはこちらです。
ここまで書いて、中間帯にいることは利点だと言い切りかけました。しかし、それは危うい。中間帯の語は目立たないので、反復されても読み手に気づかれにくい。気づかれないまま蓄積し、ある地点を越えると急に癖として見えてくる。高頻度語の反復は透明なので気にならず、低頻度語の反復はすぐ目に付くので自分で止められる。いちばん厄介なのは、その中間です。
頻度表が有効なのは、まさにこの盲点に対してです。ただし、表には限界もある。使いすぎは見つかりますが、使わなさすぎは見つかりません。ゼロの語は表に載らないからです。感情の語彙が痩せているという問題は、数えても出てこない。数えて出るのは、書いてしまったものの偏りだけです。