新聞の政治面に、次の選挙に色気を見せている、という書き方が出てきます。読み手はこれを性的な話だとは受け取りません。前後の文脈が政治だから、というだけでは説明が足りない気がします。文脈で意味が絞られるにしても、絞られる先の候補がそもそも用意されていなければならない。この語は、業界ごとにほとんど別の語として登録されているように見えます。
演劇や芸能の批評では、舞台に色気があるという言い方をします。指しているのは所作の余裕や、観客を引き寄せる何かで、演者の性別も年齢も問いません。勝負事の世界にも用法があって、こちらは勝ちを取りにいく欲が透けている状態を指します。商談の場では、条件に色気があるという形で使われ、これは利幅の見込みの話になる。同じ二字が、演出論の術語であり、勝負師の警告であり、商売の見立てでもある。位相が違えば、辞書の別項目に立ってもおかしくない距離があります。
これらをひとつの核でまとめたくなります。共通しているのは、まだ実現していない欲望が本人の意図を超えて外へ漏れている、という構造ではないか。性的な用法も、その一適用例にすぎない。整理としては収まりがよく、書いていて気持ちがいい。だからこそ疑うべきです。各領域の用法が同じ源から分岐したという証拠は、この整理の中にはありません。独立に発生して、あとから似て見えているだけかもしれない。語史を確かめずに核を立てるのは、後付けの物語です。
それでも残るものがあります。どの領域の用法でも、当人は隠しているつもりで、観察者の側が見つけている。本人が申告する形では使えません。私は色気を見せている、と言った瞬間に、語が壊れる。この非対称は、意味の共通性というより、発話の位置の共通性です。この語は常に、外から見ている誰かの視点とセットで運用されている。
後ろの一字にも同じ性質が現れています。湿り気、眠気、寒気、吐き気。この接尾辞がつくと、指されるものは実体から兆候へずれる。湿り気は水そのものではなく、水があることの気配です。眠気は睡眠ではなく、その手前の傾きを指す。まだそこに至っていないものが表面に出ている状態を名指す装置が、この一字だと考えられます。だとすれば、本人が申告できないという先ほどの非対称は、語の後半だけで説明がついてしまう。兆候は、それを兆候として読む者がいてはじめて成立するからです。この形は話し言葉の側に強く根を張っていて、同じ内容を漢語の術語で言い直すと、気配の成分が抜け落ちます。
役割語の側から見ると、それがもっとはっきりします。色気づいた、という言い方をするのは、たいてい年長の側です。若い当人はその言葉で自分を語らない。つまり語を使った時点で、話し手の年齢と、対象を見下ろす角度とが同時に刻まれる。位相差というのは語彙表の上の分類ではなく、こういう形で文の中に沈殿します。
実作で使うときに効いてくるのは、この沈殿のほうです。地の文でこの語を一度使えば、語り手が誰の側に立ち、どの業界の言語感覚で世界を見ているかが漏れます。商談の場面で使えば語り手は数字を読む人間になり、下町の隣人を描く場面で使えば噂話の輪の中の人間になる。語義を選んだつもりで、書き手は語り手の身元を書いている。読者はそれを、意味より先に受け取ります。