祈るように、は声に出すと六拍です。い、の、る、よ、う、に、と一拍ずつ数えられます。日本語の文は動詞で締まりますから、この六拍を述語の前に差し込むと、文の着地はきっかり六拍ぶん遅れます。「彼女は待った」と「彼女は祈るように待った」を並べてみると、後者は情報を足しただけでなく、待つという動作の手前に小さな溜めを作っています。修飾句の長さは、意味である前に、まず時間です。読点を添えれば、紙面にも境目が一つ増えます。拍数だけでは測れない停止ですが、六拍が独立したまとまりとして読まれる確率は上がります。音と表記の二重の小さな遅延です。
支出の重さは、文の側の長さで変わります。もとが十拍ほどの短い文に六拍を足せば、十六拍になり、文はおよそ一・六倍に伸びます。四十拍の長文に足しても、伸びは一割五分ほどにすぎません。同じ句でも、短文に置けば文の骨格を作り替える大工事になり、長文に置けば装飾の一つに紛れます。効き目が句そのものではなく、句と文の長さの比で決まるという事実は、比喩の選択を「どれにするか」から「どこに置くか」の問題へ半分ほど移し替えます。十八拍の文なら追加後は二十四拍で、もとの三分の四倍にとどまります。三十拍なら三十六拍で、増加は五分の一です。分母となる原文を数えるだけで、同じ六拍の目立ち方を比較できます。
計量文体論という分野は、文の長さの分布や品詞の比率といった、数えられるものから文体を記述しようとします。その観点で押さえておきたいのは、緊迫した場面では文が短くなる傾向が経験的に知られていることです。短文が刻むリズムのなかに六拍の比喩句を足すことは、拍の収支で言えば明確な支出になります。支出そのものが悪いのではなく、収支を意識しない支出が問題で、この句が最も効くのは、切り詰めた短文の連なりのなかに、ただ一度だけ置かれたときです。十文の段落に一度なら密度は一割、五文中に三度なら六割に跳ね上がります。段落内の比率を数えると、祈りの色が局所的な強調か、場面全体の癖かを区別できます。
置く位置によっても、掛かる範囲が変わります。「祈るように彼女は箱を開けた」なら、句は文全体を覆い、彼女の存在ごとその色に染めます。「彼女は祈るように箱を開けた」なら、掛かるのは開けるという動作だけです。係っていく範囲の語数を数えれば、この差はそのまま数字になります。同じ六拍でも守備範囲が違い、文頭に置く形は重く、動詞の直前に置く形は軽くなります。どちらを選ぶかは、場面の重心をどこに据えるかの選択です。主語と目的語を含む文頭型では、後ろの十数語をまとめて予告することもあります。直前型なら、隣接する一つの述語へ読みを狭めやすくなります。範囲を数えれば、意図した動作以外まで敬虔に見えていないか確かめられます。
比喩の副詞句は、章に一度なら比喩として立ちますが、繰り返すたびに効果が目減りし、やがて内容ではなく癖として読まれるようになります。幸い、これは感覚に頼らず管理できる数字です。原稿を検索すれば、出現回数は数秒で数えられます。数えて多いと感じたら、別の言い回しに交換するのではなく、削ることを勧めます。副詞句は削っても文が壊れません——そこが述語との違いで、壊さずに削れる部分こそ、数えて管理する価値のある部分です。台詞と地の文を分けて集計すれば、人物の癖か語り手の癖かも見分けられます。六拍の溜めは、回数を絞った分だけ、残した一箇所で深くなります。