畏怖

【いふ】名詞

使い分けの視点

「畏怖」は、恐ろしいのに離れられず、同じ対象から敬いと接近の衝動が生じる感情です。「崇敬」は敬い、「敬虔」は信仰的な慎み、「身を固くする」は身体反応を強めます。対象を飾るだけでなく、視点人物の物差しが壊れ、自分の小ささを測り直す瞬間を書きます。

同義語

同品詞の類義語

崇敬文芸的
敬虔文芸的
崇高感文芸的
敬慕文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

身の引き締まる思い
襟を正す感覚文芸的
跪きたくなる心持ち文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

大樹を仰ぐような文芸的
祠の前に立つような文芸的
雷鳴に打たれるような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

頭を垂れる文芸的
息を呑む
身を固くする

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

言葉を失う荘重文芸的
頭を下げたくなる静けさ文芸的
胸の奥のふるえ文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

逃げる発想が消えるエッセイ関連

例文: 巨竜が眼前へ降りた瞬間、少年の頭から逃げる発想が消えた。

物差しの外エッセイ関連

例文: 一手で百年分の定石を覆した老棋士は、挑戦者の物差しの外へ出た。

逃げるという選択肢が消える——回避の論理に従わない恐れ

恐怖から、逃げたいという衝動を引き去ったら、何が残るでしょうか。何も残らないのなら、恐れとはつまるところ回避のことになります。しかし実際には、逃げる気配をまったく含まない恐れがある。巨大な山容の前で、あるいは並外れた人物の前で、足がすくむのに目が離せない——回避の論理に従わない、この恐れを名指すために「畏怖」という語が取ってあります。

この感情を「恐れ、かつ、敬う」という二つの成分の連言として分析したくなりますが、うまくいきません。連言なら、部品を別々に調達して足し合わせれば再現できるはずです。ところが、蛇への恐怖と恩師への敬意を一人の心に同居させても、畏怖にはならない。二つの成分が同一の対象から、同じ根で生じていることが要る。宗教学者ルドルフ・オットーが『聖なるもの』で、戦慄させると同時に引き寄せる何かについて論じたことは広く知られています。恐ろしいのに、近づきたい。回避と接近が一つの対象の上で両立するこの構造は、恐怖単独の論理からは導けません。分解できない一次的な感情として扱うべきだ、という立場に理があるように見えます。

もう一つの特徴は、文が黙って抱え込む序列です。「AはBを畏怖する」と書いたとき、BがAより大きいこと——力量か、規模か、格か、いずれかの軸での上下——が、主張される手前ですでに織り込まれています。だから対等な相手にはこの語を使いにくく、「自分自身を畏怖する」は倒錯的に響く。否定にも非対称が現れます。畏れを知らない、という言い回しが単なる「怖がらない」を超えて非難の響きを持つのは、否定されているのが恐れの有無だけではないからです。相手を自分より大きいと認めること、その認定ごと拒否している。だからそれは勇敢ではなく、不敬や傲慢として咎められる。

程度の語り方にも癖があります。尊敬なら比較で語れます。あの人をいちばん尊敬している、その次に誰それ、と順序をつけても不自然ではない。ところがこの感情の対象を三つ並べて順位をつけると、とたんに嘘くさくなる。量の目盛りの上を滑らかに動くのではなく、ある閾を越えたときに一挙に成立する、スイッチの型をした感情のように見えます。順位をつけられるうちは、まだ相手が自分の物差しの内側にいる。物差しの外に出られたとき、人は初めてこの語を必要とする。だからこそ、成立の瞬間が書きどころになります。それまで値踏みしていた相手を、あるときを境に値踏みの対象として見られなくなる。比較の枠組みそのものが壊れる一瞬です。

書く上での要点は、対象の造形よりもスケール差の提示にあります。竜の鱗を何行費やして描写しても、それだけでは大きな生き物にしかなりません。視点人物が自分の小ささを測り直す一文、たとえば自分の一生がこの相手の一瞬に満たないと気づくような換算が入った瞬間に、感情は恐怖から別のものへ切り替わります。換算は数値でなくてもよく、相手が老棋士なら、自分が生涯かけて読む局面を相手は一年で読み終える、といった比較で足りる。逃げ足を速めさせる恐れではなく、逃げるという発想そのものを頭から消してしまう恐れ。選べる行動の集合がすっと縮む感覚さえ書ければ、対象は神でも山でも、盤を挟んで座る一人の人間でもかまいません。

文: hakadoru.ai 編集部

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