交差点の信号は、どう見ても緑に光っています。それを青と呼ぶ習慣が続いていることについては、日本語で古くから青の指す範囲が広かったからだ、という説明がよく持ち出されます。説明としては分かるのですが、腑に落ちきらない。範囲が広いのなら、なぜ他の呼び名では代替できないのか。この引っかかりから遡っていくと、色を指す語が近代に何を経験したかという話に出ます。
呼び名のほうが制度に登録されてしまうことがあります。信号を定めている法令の条文は、緑ではなく青色の灯火と書いている。実際に出ている光と、法が採った名前がずれたまま固定されているわけです。規則が慣用に譲ったのだと読めます——譲られた側から見れば、日常語がそのまま法令用語へ昇格したことになる。制度は必ずしも正確さで語を選びません。運用の都合で、いちばん通りのよい呼び名が採用される。そしていったん条文に入った呼び名は、今度は動かせなくなります。慣用が制度を作り、制度が慣用を保存する。冒頭の引っかかりの半分は、この往復で説明がつくでしょう。他の呼び名で代替できないのは、代替を許さない場所へ一度書き込まれてしまったからです。
古い日本語で、そのまま形容詞の形をとるのは、あか、しろ、くろ、あお の四つだとされます。これは繰り返し指摘されてきた事実です。確かめるのも難しくありません。黄や茶は「色」を挟まなければ形容詞になれず、黄色い、茶色いという後から作られた形しか持たない。緑や紫にいたっては、その手も使えません。残りは名詞に助詞を添えて修飾する形をとる。しかもその名詞の多くは、材料の名前でした。茜、藍、紅、柿渋、鴇。植物や鳥や染料そのものを指す語が、そのまま呼び名として使われている。つまり近代以前において、それらは知覚を分類する語ではなく、物質を指す語だったことになります。
明治以降、輸入された合成染料が状況を変えます。合成染料の始まりは十九世紀の半ばで、イギリスのパーキンが実験の副産物として得た紫が最初のものとして知られています。それまで特定の植物からしか得られなかった発色が、化学工業の製品として供給されるようになった。材料と結びついていた名前が、材料から切り離されていく。これに学校教育と工業規格が重なります。戦後には慣用的な呼び名を体系として整理する日本の産業規格が定められ、名前が番号や数値の系に紐づけられました。印刷の四色分解も同じ方向に働いています。物質だったものが、まず名前になり、次に数値になった。三つの段階は置き換えではなく積み重ねで、いまも茜や藍という語は生きています。層が増えただけです。
ここで自分の見立てを疑っておきます。呼び名が増えたことは、見え方が細かくなったことを意味するのか。言語と知覚の関係については学説上の論争が長く続いており、どちらとも断定できません。言えるのは、名前の増加が確実に何かを増やしたということだけです——それは伝達の精度でしょう。同じ布を離れた工場で再現する必要が生じたとき、材料名では足りなくなる。増えたのは知覚よりも照合の必要だったと考えるほうが、産業の側の事情には合います。名前が外から書き換えられる例は、現代にもあります。クレヨンや色鉛筆の「肌色」は、二〇〇〇年前後に各社が順次「うすだいだい」などの呼び名へ改められました。顔料は同じまま、名前だけが差し替えられたわけです。呼び名が知覚の記述ではなく社会的な取り決めであることを、これほど短く示す例もありません。
小説に戻ると、この履歴がそのまま道具になります。染料由来の名前を選べば、その背後の産業と身分がついてくる。鴇色と書けば、それを着られた層と時代が薄く立ち上がる。カタカナの呼び名を選べば、規格と輸入品の時代が立ち上がる。同じ淡い赤を指していても、連れてくる荷物がまるで違う。読者はそれを知識として持っていなくても、語感の層として受け取ります。人物の職業も同じ働きをします。染物屋なら材料の名で色を呼び、印刷の現場にいるなら数値の組で呼ぶ。どの層の語彙を口にするかが、そのまま経歴の申告になります。
だから色彩の描写は、パレットを選ぶ作業ではなく、語彙の出自を選ぶ作業に近い。明治の下宿を書く場面で規格化された近代的な呼び名を使うと、正確に見えて時代が滑ります。逆に現代のオフィスで染料由来の呼び名を持ち出せば、そこだけ語り手の趣味が露出する。目に映るものを書いているつもりで、書き手は毎回、どの時代の語彙で世界を切るかを決めている。