眉をつり上げる

【まゆをつりあげる】動詞句

使い分けの視点

怒りを名指す語、顔全体を捉える語、局部の動きで読者に判断させる語を分けます。「気色ばむ」「色をなす」は急な変化、「怒気」は場へ漏れる圧、「歯を食いしばる」は抑制です。眉の描写は外側から観察できる視点で特によく働きます。

同義語

同品詞の類義語

怒る
色をなす文芸的
気色ばむ文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

目を怒らす文芸的
気色ばむ文芸的
目尻を吊る文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

雷神のような文芸的
鬼のように
般若のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

鋭い目で
険しく文芸的
怒気を孕んで文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

怒気文芸的
形相文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

目に怒りを宿す文芸的
顔を険しくする
歯を食いしばる

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

憤然エッセイ関連

例文: 侍従は憤然として席を立ち、返書を暖炉へ投げ込んだ。

顔という狭い舞台——怒りの描写が眉へ降りるまで

舞台の上では、怒りは全身で示されます。足を踏み鳴らし、袖を払い、声を張る。客席の後方からでも読み取れなければ意味がないからです。ところが小説は、その情報量を一行の文字列へ圧縮しなければなりません。近代の日本語散文が引き受けた技術的な課題のひとつは、身体の大きな動きを顔という狭い面積へ翻訳することでした。その作業の中心に眉が据えられたのには、理由があります。眉は顔の上端にあって輪郭がはっきりしており、可動域が小さいわりに、動いたときの見た目の変化が大きい。少ない字数で多くを運べる部位なのです。

文語の散文は、感情を身体に分解するよりも、状態を一語で名指す方向に語彙を発達させてきました。憤然、愕然、慨然——漢語の副詞と「たり」の組み合わせは、感情の種類と強度を同時に指定できる、きわめて効率のよい装置です。この方式には弱点もありました。名指された感情は読者の前で起きるのではなく、語り手によってすでに判定されたものとして差し出される。読者は判定結果を受け取るだけになります。言文一致以後の書き手が身体の細部へ降りていった動機のひとつは、この判定を読者の側へ手渡すことにあったと考えられています。

翻訳の影響もしばしば指摘されます。ただし、ここは単純な移入では説明がつきません。英語の raise one's eyebrows は驚きや懐疑を表す言い回しで、怒りではない。眉を下げて中央へ引き寄せる knit one's brows のほうが、怒りや困惑に近い。つまり日本語の「つり上げる」は、英語の眉の慣用句とうまく重なりません。輸入されたのは個別の言い回しではなく、顔を部位に分けて記述するという方法そのものだった、と見るほうが無理がないように思われます。方法だけが渡ってきて、どの部位に何を割り当てるかは各言語が自前で決めた。

もうひとつ見ておきたいのは、この表現が他動詞だということです。眉は自分で上げるものとして書かれる。上がった、ではなく、上げた。ここに演技性がにじみます。だから一人称の内面描写でこれを使うと、たいてい失敗します。自分で自分の眉を操作する人物は、怒っているのではなく怒ってみせている——そう読まれてしまう。逆にいえば、語り手が対象から一歩引いた位置にいるとき、この表現は正確に働きます。三人称で、しかも観察者の目を借りている場面にいちばん収まりがよい。近代小説がこの語法を手放さなかったのは、それが感情の目盛りであると同時に、視点の所在を示す標識でもあったからでしょう。

長編では、同じ人物が何度も怒ります。二十回怒る人物の眉を二十回動かすわけにはいきません。使いどころを決めるなら、怒りの強度ではなく視点の距離で選ぶのが実際的です。語り手が人物の内側にいる場面では体温や声の震えを、外側から見ている場面では眉を割り当てる。同じ怒りでも、どこから見ているかで書ける部位が変わる。表情の語彙は感情の温度計ではなく、カメラの据え位置を告げる小さな記号として働きます。

文: hakadoru.ai 編集部

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