頭を抱える

【あたまをかかえる】動詞句

使い分けの視点

「悩む」は広い内面状態、「苦慮する」は解決策を探す思考、「煩悶する」は感情を伴う長い苦しみです。「額に手を当てる」「額を押さえる」は外から見える姿勢で、停滞した時間を描けます。比喩は問題の構造を、所作は悩みが身体を占める持続を示す場面に向きます。

同義語

同品詞の類義語

悩む
苦慮する文芸的
煩悶する文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

途方に暮れる
ため息をつく
額に手を当てる文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

迷宮にいるような文芸的
出口のないような
袋小路のように文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

深く
途方に暮れて
苦しげに

体言的言い換え

用言を体言に変換

苦慮文芸的
苦悩文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

難題を抱える
途方に暮れる
額を押さえる文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

姿勢に長さを与えるエッセイ関連

例文: 肘を机についたまま夜が明け、静止した姿勢に長さを与える窓の光だけが動いた。

ト書きは内面を書けない——所作が引き受けた仕事

戯曲のト書きには、原理的な制約があります。俳優に指示できるのは身体だけで、「悩め」とだけ書かれても演じようがない。だから台本には、外から見える形に翻訳された内面が並びます。両手を髪に差し入れて動かない姿勢は、その語彙のうちでも古くから使われてきたものの一つでしょう。近代の日本の小説が言文一致を進めていく過程で、書き手たちがこの演劇由来の困りごとに別の形で再会したように見える瞬間があります。舞台とは違って小説の語り手は内面へ入っていけるのに、それでも身体の外形を書く。この重複が、どこから来ているのか。

三人称の語りは、原理的には内面を直接書けます。「彼は悩んだ」と書けばそれで済むはずで、姿勢の描写は要らない。にもかかわらず、明治から大正にかけて書かれた小説の多くは、内面の直接記述と身体所作の描写を並べて置いています。片方があれば足りるところに両方が置かれる。冗長に見えるこの並置は、書き手の未熟さではなく、何か別の必要から来ていると考えたほうがよさそうです。

説明としてまず思いつくのは、内面の直接記述が読者に信用されにくいから外形で裏づけている、という筋です。ただこれは少し安易に感じます。反証はすぐ立つ。読者は「彼は悩んだ」を疑ってはいない。疑っていないのに所作が添えられるのは、信用の問題ではなく、時間の問題だからでしょう。「悩む」は状態を指す動詞ですが、文の上ではその状態がどれだけ続いたかを持ちません。一瞬の逡巡も三日の煩悶も、同じ動詞で書けてしまう。一方、両手で頭を支えた姿勢は静止画として提示され、静止画は持続を含意します。動作を止めた人物を書いた時点で、読者の頭の中では時間が流れはじめる。動詞が扱えない持続を、姿勢の描写が引き受けている。所作は内面の代用というより、内面に長さを与える装置だったと考えるほうが収まりがよいでしょう。

もう一点、語彙の出どころの問題があります。日本語の身体慣用表現には、漢籍の訓読を通って入ってきた層が厚い。眉をひそめる、膝を打つ、袖を絞る。文語文の中で型として流通していたものが、口語文へ移るときに形だけそのまま持ち越された。持ち越されたぶん、それらは最初から手垢のついた状態で近代小説に入ってきています。書き手の発明ではなく、既製品として棚にあった。使えば確実に通じるかわりに、使っても新しいことは何も起きない。同時代の書き手がこの重複を承知のうえで使い続けたのだとすれば、通じることの価値を取ったのだとも言えます。

現代でこの所作を書こうとすると、その既製品性が全面に出ます。読者は文字列を像に変換する手前で、慣用句の意味だけを抜き取って先へ進んでしまう。避け方は、所作の一般名を書かないことです。手のひらがどこに触れているのか、指が髪を掴んでいるのか額を押しているのか、肘は机についているのか宙に浮いたままか、その姿勢が何秒続いたのか。構成要素だけを書けば、読者は像を自分で組み立て直さざるをえず、その組み立てにかかる時間が、そのまま人物の停滞した時間になる。ト書きが俳優に渡していた種類の情報を、そのまま読者に渡す——遠回りに見えて、この語のまわりではそれが一番速い。

文: hakadoru.ai 編集部

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