雄大

【ゆうだい】形容動詞

使い分けの視点

「雄大」は面積だけでなく、小さな観察者の視野から端が見えないという体験を含みます。「広大」「広袤」は測れる広がりへ、「大洋のような」「天空のごとき」は比喩へ寄ります。人物の位置や稜線までの距離を示してから使うと、感嘆ではなく体感になります。

同義語

同品詞の類義語

広大な
悠大な文芸的
果てしない
宏大な文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

見渡す限りの
天地を包む文芸的
視界を覆う

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

大洋のような文芸的
天空のごとき文芸的
草原のような

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

広々と
悠々と文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

視野を満たす
天地を覆う文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

大パノラマcolloquial
広袤文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

天を仰ぐほどの文芸的
地平を覆う文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

視野からあふれる広がりエッセイ関連

例文: 視野からあふれる広がりを前に、測量士は地図を畳んだ。

面積では決まらない——測れる大きさと測れない大きさの分かれ目

同じ千平方キロメートルでも、そう呼べる土地と呼べない土地があります。山脈や大河の流域はそう呼ばれ、同じ面積の埋立地や工業団地はそう呼ばれない。物理量が同じで語の適用可否が分かれるとき、その語の意味には物理量以外の成分が含まれています。ここが「広大」との分岐点です。広大は測定の語で、地図と数値だけで決まる。もう一方は測定では決まらない。意味論でいえば、両者は指示対象の集合が重なっているだけで、意味の焦点が別の場所にある。

典型例を並べると、焦点の在処が見えてきます。連なる峰、河口近くの大河、雲の海、地平まで続く草原。これらに共通するのは、一望はできるが端が見えないという知覚上の条件です。視野には収まる、しかし視野の枠を情報が溢れている。この条件が効いている証拠に、実際には桁違いに大きい対象——たとえば銀河系そのもの——を素朴にこの語で呼ぶと、どこか座りが悪い。大きすぎて視野の中に置けないものは、この語のプロトタイプから外れます。大きさそのものではなく、大きさと視野の比が意味を決めている。

上位下位の関係も素直ではありません。上位語をたどれば「大きい」に行き着きますが、大きいものが自動的にこの語の下位に入るわけではない。廃棄物の山は大きいけれど、そう呼ぶと皮肉になります。つまり記述的な意味と評価的な意味が分離できない形で組み込まれている。こうした語は、否定形にしたときの振る舞いも独特です。「大きくない」は単なる測定の否定ですが、この語の否定は、規模の否定なのか評価の否定なのか、文脈がなければ決まらない。評価成分を含む語の否定は、必ず二通りの読みを生みます。

さらに、観察者の位置が意味に組み込まれている点が見逃せません。同じ渓谷でも、航空写真として上から見れば広大で、谷底から見上げれば別の語がふさわしくなる。前者は俯瞰する視点、後者は包み込まれる視点です。見る者が「小さい側」に立っていることが、この語の使用条件に含まれている。だから人物を一切書かずに風景だけを描いた地の文でこの語を使うと、語が勝手に視点人物を要求します。誰が小さいのか、と読者が無意識に探しはじめる。

もうひとつ、空間から時間への転用があります。音楽をこの語で形容することがありますが、そこで大きいのは面積ではなく、主題が展開しきるまでの時間の長さ、あるいは音域の広さです。空間の語彙が時間の構造に写されている。この転用が成立するのは、先ほどの「視野に収まりきらない」という条件が、時間軸でも同じ形で再現できるからでしょう。一度に把握できる量を超えている、という一点だけが移されている。

原稿での使い方は、この条件から逆算できます。人物を先に小さく置く。稜線の位置と、そこまで歩くのに要する時間を書く。そうして視野と身体の比が読者に渡ったあとであれば、語を置いても置かなくても、規模は伝わります。逆に、比を作らずに語だけを置けば、読者は書き手の感嘆を受け取るだけで、自分の視野には何も広がらない。測れないものを扱う語は、測れるものを先に並べて初めて働きます。

文: hakadoru.ai 編集部

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