勇敢

【ゆうかん】形容動詞

使い分けの視点

「勇敢」は危険が実在する場面で、行為を外から評価する硬めの語です。本人に自称させると自慢や冗談に聞こえ、安全な行為へ向けると皮肉にもなります。「大胆」は規模の大きさ、「肝の据わった」は平静、「身を挺する」は他者のための危険負担を中心に描きます。

同義語

同品詞の類義語

豪胆な文芸的
大胆な
果敢な文芸的
肝の据わったcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

身を挺する文芸的
恐れを知らない文芸的
腰の据わった

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

獅子のような文芸的
鷲のような文芸的
不動の山のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

臆することなく文芸的
身を挺して文芸的
ひるまず

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

度胸を据えるcolloquial
肚を括る文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

胆力文芸的
度胸colloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

怯みのない文芸的
雄々しい文芸的
命を惜しまぬ文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

評価権を渡すエッセイ関連

例文: 敵将に勇敢と言わせることで、作者は勝者ではなく敗者へ戦いの評価権を渡す。

誰の口から出るか

表彰状の文面。新聞の見出し。事故の続報の末尾に添えられる一文。この語が現れる場所には、はっきりした偏りがあります。出来事が終わったあとで、当事者ではない誰かが、公の場で書く。そういう条件が揃ったところにばかり顔を出す。意味は「恐れずに立ち向かうこと」と辞書的に片づけられますが、それだけでは、この分布の偏りが説明できません。語義の記述と、実際に使える場所の記述は、別の作業です。

語形の側にも、偏りを後押しする条件があります。二字の漢語で、形容動詞として使う型です。同じ意味領域には和語の「勇ましい」があり、そちらは会話でも地の文でも軽く出せる。漢語のほうは、書き言葉と公的な場面へ寄ります。表彰状、辞令、追悼の文——文字にして掲げるための語彙です。日常の会話で「君は勇敢だね」と言えば、口調が一段持ち上がり、冗談か儀式めいた響きになる。位相のずれそのものが、この語を置ける場所を決めています。辞書は二つの語を似た意味として並べますが、置き場所の重なりはそれほど大きくありません。

自己叙述の側から見ると、非対称はもっと鮮明です。「私は怖い」は何の抵抗もなく言えるのに、「私は勇敢だ」はそのままでは通りません。自慢か、冗談か、他人事めいた人格描写のどれかとして受け取られる。感情語は一人称現在で成立するのに、この種の評価語は成立しないという偏りがあります。オースティンは発話をその機能で分類し、その中に判定を下す種類の発話を置きました。この語はそちらに近い。判定は、判定される当人ではなく、外から与えられるものです。近い意味の勇気のほうは事情が違って、「あのとき勇気がなかった」と自分について言えてしまう。量として語れるものは自称に耐え、属性の断定は耐えない、という線がここに引けます。

二人称に向けると、また別の摩擦が生じます。面と向かって相手をこう評する行為は、褒めであると同時に評定です。評定は、下す側が上に立てるときにだけ滑らかに通ります。上官が部下に、教師が生徒に、大人が子どもに。逆向きにすると、口をきいた側が身の程を越えたように響きます。加えて、この語には命令形の道がありません。「勇敢であれ」は檄としてなら成立しますが、日常の依頼として使うと壊れる。恐れを感じないことは、頼まれて実行できる種類の行為ではないからです。評定はできるのに指示はできないという穴が、使える範囲をさらに狭めています。だから物語の中でこの語を二人称に向けるときは、向けた人物の立場のほうが先に読まれます。台詞そのものより、それを言える位置にいると本人が思っている事実が、読者には強く届く。

次に前提の側。この評価は、危険が実在したことを前提として抱えています。前提が満たされていない場面に持ち込むと、意味が反転する。安全な行為に対して「勇敢ですね」と言えば、まず嫌味になります。ここで動いているのは語義ではありません。語義は何も変わらないまま、前提が現場と食い違ったという事実だけが、皮肉という読みを生んでいる。含みが語の中ではなく、語と状況の隙間から出てくる典型例です。だから辞書をどれだけ精密にしても、この皮肉は記述しきれない。危険の実在は程度の問題でもあるので、書き手は目盛りを自分で置くことになります。読者が危険を軽く見積もった場面にこの評価を置けば、意図しない嫌味が発生する。危険の大きさを先に確定させておく作業は、語彙の選択より前に来ます。

副詞形にすると、そのことがもっと見やすくなります。「彼は勇敢にも名乗り出た」の「〜にも」は、話し手の評価を表に出すための枠です。同じ枠には「愚かにも」「無謀にも」も入る。同一の出来事を、話し手は構文を変えないまま賞賛にも非難にも振り分けられる。勇敢と無謀は、行為の記述としてはしばしば同じものを指していて、両者を分けているのは結果と、語り手がどちらの側に立っているかだけです。

だとすると、書く側の判断は語彙の選択ではなく配置の問題になります。人物に自分をこう言わせれば、その人物は滑稽になるか、嘘をついていることになるかのどちらかです。逆に、誰にこの評価を口にさせるかを決めることは、その出来事の評価権を誰に渡すかを決めることでもある。三人称の語り手が言えば確定した事実に近づき、脇役の一人が言えばその人物の主観として相対化され、敵役に言わせれば皮肉として反転する。同じ行為の意味が、発話者の位置ひとつで変わってしまう。語が難しいのではなく、置く位置が、そのまま作品の視点設計に触れているのです。

文: hakadoru.ai 編集部

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