手元の文章からこの語を含む一文を集めて、直後に何が来ているかを書き出してみると、集計するまでもなく傾向が見えてきます。問題、影響、事態、被害、状況。名詞の顔ぶれが数種類に収束し、しかもどれも抽象名詞です。人の表情にも使えるはずなのに、実際の出現はそちらへほとんど流れない。自由に使える形容動詞のつもりでいた語が、実態としては決まった相方としか出歩いていない。
計量の言葉で言えば、共起の偏りが強い。二語が一緒に現れる確率を、それぞれが単独で現れる確率の積と比べる指標がありますが、この語の場合、その比が特定の名詞に対してだけ極端に高くなります。結びつきが強いということは、片方が出た時点でもう片方が予測できるということで、予測できる語は情報を運びません。連語の中に沈んだ語は、文の中で一語ぶんの場所を占めながら、一語ぶんの驚きを供給しない。
ここで立ち止まっておきます。共起が偏るのは、抽象名詞の側の事情ではないのか。問題や事態は、そもそも程度を言われやすい名詞です。もっともな反論で、どちらの側の引力が強いのかは片方だけ見ていても分かりません。ただ、同じ位置に置ける「重大な」や「切迫した」を並べてみると、これらの相方はもう少し散らばる。重大な決断、切迫した呼吸。相方の広がりが違うのだから、名詞側の事情だけでは説明が足りない。
偏りの出どころには、文体の層という要素もありそうです。この語は報道の文章で目につきます。字を見れば、刻むという動作が入っている。深く刻まれた、という具体から出発したはずの漢語が、いまは公的な文章で被害の大きさを示す定型の担い手になっている。特定の文体に頻度が集中した語は、そこから離れた場所に置かれると、出身地の匂いを連れてきます。人物の内面を書いている途中でこの語が出ると、そこだけ記事の声になる。
派生形の分布も、同じ方向を指しています。この語は「〜化」という接尾辞をよく取り、進行そのものを名詞にしてしまう。誰が悪化させたのかを言わずに済む形で、責任の所在が文法的に消える。報道の語彙に定着した理由の一端はそこにあるはずで、物語の中で使えば、同じ働きが同じように起きます。人物の苦境をこの形で書いた瞬間、その苦境は誰のものでもない現象になる。
もうひとつ、頻度そのものが効いてきます。使用が増えるほど、その語が示す閾値は上がる。あらゆる不具合が重大と報じられる環境では、本当に重大なものを指す語が足りなくなります。頻度分布の上位に居続けた語が摩耗するのは、意味が変わったからというより、区別する仕事から降ろされたからです。
書き手にできる操作は、相方を替えることではなく、相方を外すことだと思われます。抽象名詞に付けず、述語の位置へ単独で置く。あるいは、この語を出さずに、読者が同じ判断に到達するまでの手順を書く。数値でも、動作でも、沈黙の長さでもいい。読者が自分で重さを見積もったとき、その見積もりは、こちらが宣言した重さよりも確実に長く残ります。