感光紙に図面を重ねて光に当てると、線の部分だけが白く抜け、地が濃い青に沈む。十九世紀に広まったこの複写法は、建築や機械の図面を安く大量に配れるようにしました。青写真という言葉が計画そのものを指すようになったのは、その延長です。一枚しかない原図のままでは、離れた現場と設計者が同じ像を共有できません。複写が安くなったのは、まだ無いものの形を大勢で持ち回れるようになったということでもあります。ここで起きたのは、まだ存在しないものが紙の上に先に存在するという状態が、特別な出来事ではなく日々の作業になったことでした。この変化を横目に見ながら、心の中の作業を絵に喩える言い方について考えると、順序が気になってきます。
絵を描くという動作が心の働きに転用されるには、絵が見取り図として機能する経験が要る。そう言いかけて、すぐに反例が浮かびます。絵巻も屏風も浮世絵も、近代よりはるか前からあった。人はずっと絵を見ていたし、絵を描いてもいた。だから絵の存在そのものは条件になりません。違うのは種類のほうです。鑑賞される絵と、これから作るものの図面とは、同じ紙でも役割が別である。後者が生活の中に入ってきたとき、心内の像は「まだ無いもの」を指すことができるようになった——そう考えると、この動詞が未来へしか向かない理由に説明がつきます。
像そのものが大量に出回りはじめたのも、そう遠くない時期のことです。写真が営業として広まり、幻灯が見世物と教育の双方で使われ、やがて活動写真の常設館ができる。心の中の作業を語る言い回しは、そのつど新しい技術から語彙を借りてきました。記憶が焼き付くという言い方は写真の工程から来ていますし、場面が浮かび上がる、頭の中で映像が流れる、といった表現も、複製の技術を経由しています。ただし、そうした言い方の多くは、像が向こうから現れることを述べている。この動詞だけは、こちらから線を引く側に立っています。借りている比喩が、受け取る装置ではなく、手を動かす作業のほうに置かれているわけです。
ただし、語形そのものが近代に生まれたと言い切ることはできません。心に絵を思う言い回しは古くからあり、この語の成立時期を断定できる材料は手元にない。むしろ観察できるのは、分業のほうです。同じ内容を漢語で言えば構想であり計画であり立案である。これらは会議や書類の語で、主語は組織になりうる。和語で組み立てられたこちらは、個人の内側にとどまります。近代の日本語は未来を語る言葉を二層に分け、制度は漢語で、人は和語で語るようにしてきた。同じ場面を書いていても、どちらの層を選ぶかで、その未来に責任者がいるかどうかまで変わってしまう。
未来を扱う制度そのものが増えた時期でもありました。生命保険の会社が現れ、統計が官庁の仕事になり、確率で先を見積もる手続きが社会の側に備わっていきます。天気予報も、鉄道の時刻表も、まだ来ていない時間を書面に固定する装置です。未来は、計算して配れる対象になった。ところが計算が扱えるのは、集団について言える見込みまででしょう。ある一人が自分の来年をどう見ているかは、確率の外側に残ります。漢語の語彙が制度の側の未来を引き受けたぶん、和語の複合動詞のほうに個人の未来が残された、という筋道も立てられる。書く側にとっては、その分担がそのまま語の選択になります。
語源の側からも一つ。描くは掻くと同じ系統だとする説があります。断定はできませんが、ひっかいて跡を残すという原義を想定すると、この動詞の無理がはっきりします。跡は残るものであり、残るためには支持体が要る。紙、板、壁。板や壁に引いた線なら、消すのにも道具と時間が要ります。ところが心の中に支持体はありません。この語は、線を留めておく面のない場所で、それでも跡を残そうとする動詞です。思い描いたものが翌朝には形を失っているのは、比喩の中でだけ成り立っている行為だからでしょう。
だから座りの良し悪しがはっきり出ます。昨日の出来事をこの語の対象にすると、どこかぎこちない。向かえるのは未来か、起こらなかった側の可能性だけです。物語の中では、この動詞を使えるかどうかが、その人物がまだ先を持っているかどうかの指標になる。落ちぶれていく人物を書くとき、状況説明を重ねるより、この一語を最後に取り上げるほうが効くことがあります。線を引く面が、その人からなくなった。