思い出

【おもいで】名詞

使い分けの視点

「回想」は過去を辟り直す行為、「追想」は過ぎた人や時間へ心を向ける行為、「懐古」は時代や風物を懐かしむ語感です。「思い出」は語れる輪郭を得た過去なので、未整理の痛みと書き分け、誰と共有できる過去かを確かめます。

同義語

同品詞の類義語

回想
追想文芸的
懐古文芸的
郷愁文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

昔の一齣
過ぎし日の景文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

色あせた絵葉書のような
ラジオの遠音に似た文芸的
閉じた手紙のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

昔が胸に蘇る
昔日が甦る文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

懐かしい一片
胸に残る残像文芸的
過ぎ去った日々の香文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

額縁のない過去エッセイ関連

例文: 踏切の音で不意に戻ったのは、まだ始まりも終わりも語れない額縁のない過去だった。

数えられる過去——額に入った時点で失われるもの

「思い出を三つ挙げてください」は、日常の会話として自然に響きます。ところが「記憶を三つ挙げてください」と言われると、途端に検査室の言葉になる。同じ過去を指しているはずなのに、片方だけが数えられる。数えられるということは、輪郭があるということです。どこからどこまでが一つなのかが、聞かれた側にも分かっている。ここに、この語のいちばん奇妙なところが出ています。過去は本来、切れ目のない連なりであるはずなのに、この語はそれを個体として扱う。

語の作りを見ると、事情はさらに込み入ってきます。これは「思い出す」という動詞の連用形が名詞になったもので、形の上では行為の名前です。ところが指しているのは行為ではなく、行為の対象のほう。動作を表す形が結果や内容物を指すようになる現象は、日本語に限らず珍しくありません。書くことを指す語が、書かれたものを指すようになる、あの動きです。意味の焦点が動作から動作の中身へ移り、移った先で中身のほうが独立した個体として立ち上がった。焦点の移動は語形には現れないので、辞書を見ただけでは気づきにくい。

もうひとつ、この語には評価の傾きがあります。何も修飾を付けずに置かれたとき、そこに含まれるのはたいてい保存する価値のある過去です。「嫌な思い出」という言い方が成り立つのは、そう断らないと正の側に読まれてしまうからでしょう。逆に「良い思い出」は、既定を強調しているにすぎない。中立の語であれば、どちらの修飾も同じ重さで付くはずです。この非対称は、語の中心にあるイメージが正の側へ寄っていることの現れだと考えられます。中心と周辺があり、周辺を使うときには断り書きが要る、という構造。

所有のされ方にも差が出ます。「二人の思い出」という言い方は成り立ちますが、記憶のほうを同じ形で二人に帰属させると、脳科学の話か、そうでなければ比喩になる。過去の出来事そのものは共有できても、それを保持している装置は各人の中にしかない。にもかかわらずこの語が共有を許すのは、指しているものが装置の中身ではなく、語り合った結果として二人のあいだに置かれた何かだからでしょう。共有できる過去と、共有できない過去。この区別は、二人の関係を書く場面でそのまま材料になります。

では、これは記憶という語の下位分類なのでしょうか。自転車の乗り方は記憶ですが、この語では呼びにくい。九九も同じです。記憶研究では、出来事として体験した記憶と、知識として蓄えた記憶を分けて扱うことが一般的で、この語が届くのは前者の側だけに見える。しかし、それだけでは足りません。昨日の昼に何を食べたかは出来事の記憶ですが、まだ該当しない。時間が要る、というのも半分しか当たっていない——十年前の昼食も、やはり同じです。

残るのは、語れる形に整理されたかどうかという条件です。始まりと終わりがあり、誰かがいて、何かが起きた。切り出され、価値を見積もられ、額に入った状態。だからこそ数えられるし、正の側に傾くし、他人に渡せる。額装の過程で、耐えられない部分は落ちるからです。創作の場面で言えば、この語を書いた瞬間に、その過去はもう処理済みだと宣言したことになる。人物が過去に不意を突かれる場面でこの語を使うと、当人が落ち着きすぎて見えるのはそのためです。侵入してくる過去には、まだ額縁がない。

文: hakadoru.ai 編集部

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