恐ろしい

【おそろしい】形容詞

使い分けの視点

「恐ろしい」は対象の性質を評価するほか、「恐ろしく速い」のように程度だけを強めます。「怖い」は身体に近く、「おどろおどろしい」は外観や演出、「底知れない」は把握不能を示します。誰にとっての恐ろしさか、現実と起こり得た惨事のどちらを見ているかを明らかにします。

同義語

同品詞の類義語

怖い
凄まじい文芸的
おどろおどろしい文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

血の気が引く
肝を冷やす

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

地獄のような
獣に追われるような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

戦慄とともに文芸的
ぞっとするほどcolloquial

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

身震いする
総毛立つ文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

戦慄文芸的
畏怖文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

息も詰まるような文芸的
底知れない文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

起きなかった惨事の影エッセイ関連

例文: 急停止した車輪を見つめ、御者は起きなかった惨事の影に遅れて震えた。

「恐ろしく速い」は速いだけ——強意に漂白された形容詞の論理

「恐ろしく手際がいい」と言われて気を悪くする料理人はいません。この言い方の中で、形容詞は恐怖の意味を運んでいないからです。「ものすごく」「とんでもなく」も同じ道をたどった仲間で、強い感情を表す語が程度の強調に転用され、元の意味が抜け落ちていく。意味論でしばしば漂白と呼ばれる現象です。つまりこの語には、恐怖を引き起こす性質を述べる用法と、単なる強意の用法という、論理的な性格のまったく違う二つの顔が同居しています。見た目は同じ語形なのに、文の中での働き方が根本から違う。

二つの顔は、否定をかけると見分けられます。「この家は恐ろしくない」は普通に成立する。性質の否定です。ところが強意の用法は、否定を受け付けません。「恐ろしく速くない」という文を、速さの程度が甚だしくない、という意味に読むことはまずできない。論理学でいう否定の作用域——スコープ——の中に、強意の読みは入ってこないのです。疑問文でも同じことが起こります。速いかどうかは問えても、強意のニュアンスだけを切り出して問うことはできない。否定と疑問という単純なテストにかけるだけで、二つの用法が文の別の層で働いていることが露わになります。

分裂文にすると、また別の論理装置が見えてきます。「恐ろしいのは、彼が笑っていたことだ」。この文は、彼が笑っていたという事実を前提として議論の外に置いてしまう。読者はその事実を疑う位置に立てないまま、評価だけを受け取ることになります。前提は否定をくぐり抜ける性質を持っていて、「彼が笑っていたことではない」と打ち消しても、笑っていた事実そのものは文の中に残り続ける。サスペンスの語りがこの構文を好むのは、偶然ではないでしょう。争点を評価の側に移すことで、不気味な事実を読者に呑ませてしまう力があるからです。

さらに、この形容詞が向かう先は、しばしば現実ではありません。「一歩間違えば大惨事だった」と青ざめるとき、怖いのは起きたことではなく、起こり得たことです。論理学が可能世界と呼ぶ領域、つまり現実とは別の、あり得た成り行きの束に、この語は自然に手を伸ばします。事故現場を通り過ぎてから震えが来るのは、身体が現実にではなく反実仮想に反応している証拠だと言えます。恐怖の描写が、惨状の直接の提示よりも「もしも」の示唆で深くなることは経験的によく知られていますが、それはこの語の論理構造——現実よりも可能性に反応する構造——と、きれいに合致しているのです。

最後に残るのは、誰にとって恐ろしいのか、という問いです。この形容詞は「高い」や「重い」と違って、測定器を当てる場所が世界の側にありません。事態そのものではなく、事態を見ている誰かの評価を述べる語であり、しかもその誰かを文面から消してしまう。「恐ろしい静けさだった」と書くとき、判定しているのは視点人物か、語り手か、それとも読者に判定を委ねているのか。書き手が決めずに放置した判定者の空席は、読者が勝手に埋めます。その空席をどこに置くかまで設計して、はじめてこの語は制御下に入る。

文: hakadoru.ai 編集部

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