心を奪う

【こころをうばう】動詞句

使い分けの視点

「心を奪う」は受け手の同意を経ず、注意が強く移ったことを被害の構文で描きます。魅了するは評価、虜にするは拘束、夢中にさせるは集中の持続へ寄ります。奪取の瞬間より、仕事へ戻れないなど、その後に生じた欠落を書くと実感が出ます。

同義語

同品詞の類義語

魅了する
虜にする
夢中にさせるcolloquial
心を奪い取る文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

魂を捉える文芸的
胸を奪う文芸的
視線を集めて離さない文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

蜜のように甘く惹きつける文芸的
磁石のように
渦に呑まれるような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

深々と文芸的
ひと目で

体言的言い換え

用言を体言に変換

魅了
文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

胸を捉えて離さない文芸的
魂ごと持ち去る文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

注意を奪うエッセイ関連

例文: 動く展示は子どもの注意を奪うと、閉館の放送まで足を止めさせた。

見るだけの客——注意が商いの対象になった時代

夜の商店街を歩いていて、明かりのついたガラスの前で足が止まる。買うつもりはありません。それでも数秒、そこに留まってしまう。その数秒を店の側から数え上げ、成績として管理する——そういう発想がいつ生まれたのかを追うと、話は思ったより新しいところへ着きます。品物がいくつ売れたかではなく、通行人の視線が何秒そこに滞在したか。売上の手前に「見られた量」という別の量を置き、そちらを先に確保しようとする。この順序が商いの技術として整えられたのは、近代に入ってからのことだと考えられています。

「奪う」は本来、他人が所持しているものを強制的に自分の側へ移す動詞です。奪われた側に同意はなく、返却の約束もない。かなり物騒な語です。それが好意的な文脈で使えるのは比喩として摩耗したからですが、摩耗しきってはいません。この言い方には、相手の意志を迂回して何かが移動したという含みが残っている。惹かれた側は、自分で選んだわけではない。似た構えの表現に「目を奪う」「息を呑ませる」があり、いずれも受け手の身体機能が一瞬止まる形をとります。魅力を語る語彙が、揃って被害の構文を借りているのは奇妙に見えますが、近代以降の商業が人に対して行ったことを並べてみると、この構文はむしろ正確だったように思えてきます。

明治期、人の関心を集めること自体が技術として整えられていきます。第一回内国勧業博覧会が開かれたのが一八七七年。物を並べて見せるという催しを、国家が事業として行った。呉服店が座売りをやめて陳列式の売り場に改め、やがて百貨店へ転じていくのも同じ流れの延長にあります。座売りでは、客が用件を告げてから店員が奥の品を運んできました。買う意志を先に示さなければ、商品は姿を見せなかったわけです。ガラスケースと照明は、その順序をひっくり返しました。先に見せて、あとで買わせる。買わない人間が長く店内に滞在することを、損失ではなく投資とみなす転換がここで起きています。見るだけの客という存在は、近代の発明に近いものだと考えられます。

二十世紀後半になると、人の注意そのものが有限の資源として語られるようになります。一日は二十四時間しかなく、まともに見られる画面は一度に一つ。誰かが見ている間、別の誰かは見られていない。注意を巡る競合は、かなりゼロ和に近い構造を持ちます。この枠組みに置き直すと、心を奪うという言い方は比喩というより記述に近づいてくる。移動しているのは実際に有限量の何かであり、獲得した側はそれを他の誰かから取り上げている。広告の対価が、掲示物の面積でも掲出期間でもなく、到達した人数で計算されるようになったことと、この語感は無関係ではないはずです。

創作で使うとき、注意したいのは視点の置き場所です。奪ったのが誰かという情報は文に入る。しかし奪われた側の内側は空白のまま残ります。「彼女は彼の心を奪った」と書いても、彼が何を失ったのかは一字も書かれていない。書くべきはおそらく奪取の瞬間ではなく、その後の欠落のほうです。仕事に戻れない、食事の味が薄い、時計を何度も見る、人の名前を聞き間違える、以前は好きだった番組が長すぎると感じる。欠落は、失われたものの形をそのままなぞって残ります。奪われた人間は、自分が何を持っていたかを、失ってからようやく数え始める。

文: hakadoru.ai 編集部

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