夜の商店街を歩いていて、明かりのついたガラスの前で足が止まる。買うつもりはありません。それでも数秒、そこに留まってしまう。その数秒を店の側から数え上げ、成績として管理する——そういう発想がいつ生まれたのかを追うと、話は思ったより新しいところへ着きます。品物がいくつ売れたかではなく、通行人の視線が何秒そこに滞在したか。売上の手前に「見られた量」という別の量を置き、そちらを先に確保しようとする。この順序が商いの技術として整えられたのは、近代に入ってからのことだと考えられています。
「奪う」は本来、他人が所持しているものを強制的に自分の側へ移す動詞です。奪われた側に同意はなく、返却の約束もない。かなり物騒な語です。それが好意的な文脈で使えるのは比喩として摩耗したからですが、摩耗しきってはいません。この言い方には、相手の意志を迂回して何かが移動したという含みが残っている。惹かれた側は、自分で選んだわけではない。似た構えの表現に「目を奪う」「息を呑ませる」があり、いずれも受け手の身体機能が一瞬止まる形をとります。魅力を語る語彙が、揃って被害の構文を借りているのは奇妙に見えますが、近代以降の商業が人に対して行ったことを並べてみると、この構文はむしろ正確だったように思えてきます。
明治期、人の関心を集めること自体が技術として整えられていきます。第一回内国勧業博覧会が開かれたのが一八七七年。物を並べて見せるという催しを、国家が事業として行った。呉服店が座売りをやめて陳列式の売り場に改め、やがて百貨店へ転じていくのも同じ流れの延長にあります。座売りでは、客が用件を告げてから店員が奥の品を運んできました。買う意志を先に示さなければ、商品は姿を見せなかったわけです。ガラスケースと照明は、その順序をひっくり返しました。先に見せて、あとで買わせる。買わない人間が長く店内に滞在することを、損失ではなく投資とみなす転換がここで起きています。見るだけの客という存在は、近代の発明に近いものだと考えられます。
二十世紀後半になると、人の注意そのものが有限の資源として語られるようになります。一日は二十四時間しかなく、まともに見られる画面は一度に一つ。誰かが見ている間、別の誰かは見られていない。注意を巡る競合は、かなりゼロ和に近い構造を持ちます。この枠組みに置き直すと、心を奪うという言い方は比喩というより記述に近づいてくる。移動しているのは実際に有限量の何かであり、獲得した側はそれを他の誰かから取り上げている。広告の対価が、掲示物の面積でも掲出期間でもなく、到達した人数で計算されるようになったことと、この語感は無関係ではないはずです。
創作で使うとき、注意したいのは視点の置き場所です。奪ったのが誰かという情報は文に入る。しかし奪われた側の内側は空白のまま残ります。「彼女は彼の心を奪った」と書いても、彼が何を失ったのかは一字も書かれていない。書くべきはおそらく奪取の瞬間ではなく、その後の欠落のほうです。仕事に戻れない、食事の味が薄い、時計を何度も見る、人の名前を聞き間違える、以前は好きだった番組が長すぎると感じる。欠落は、失われたものの形をそのままなぞって残ります。奪われた人間は、自分が何を持っていたかを、失ってからようやく数え始める。