ひるがえって

【ひるがえって】接続詞

使い分けの視点

論を転じる語のうち、「一方」「他方」は二項を静かに並べ、「対して」「対比的に言えば」は差を明示します。「逆に」は方向反転を簡潔に示し、「視点を変えれば」「目を転ずれば」は観察者の移動を前景化します。「ひるがえって」に近い外から内への振り返りか、単なる話題転換かで選びます。

同義語

同品詞の類義語

一方
対して
翻するに文芸的
逆にcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

視点を変えれば
見方を変えると
目を転ずれば文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

他方文芸的
そっちはどうかと言えばcolloquial
対比的に言えば

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

外から内へ戻る視線エッセイ関連

例文: 帝国の過ちを論じた語り手は外から内へ戻る視線で、自国の同じ制度を問い直した。

布の運動から論の身振りへ——接続詞になった「ひるがえって」

旗が翻り、木の葉が翻る。動詞「翻る」が描くのは、布や葉のような軽いものが風を受けて不意に向きを変える運動です。ところがこの動詞のテ形が文頭に置かれると、様子が一変する。「ひるがえって我が身を顧みれば」。ここではもう、何も布のようには動いていません。動いているのは論の視線だけです。動詞の活用形が本来の運動の意味を薄れさせ、論理をつなぐ機能語として独立していく——文法ではこの過程を文法化と呼び、「従って」「よって」「加えて」「つきましては」など、議論を運ぶ接続表現の多くが同じ道をたどってきました。

接続詞になった証拠は、ふるまいの変化に現れます。まず、主語を取らなくなる。「旗がひるがえって」なら動詞ですが、文頭で読点を従えて独立した用法に主語を補うことはできません。誰の目が翻るのかを問うても答えは出ない。次に、後続する述語に強い偏りが生まれます。「考えるに」「見れば」「顧みると」——続くのは思考と視認の動詞ばかりです。物理的な運動の意味を手放した代わりに、この語は「視線を反転させる」という手続きだけを保存した。共起の偏りは、その手続きの痕跡だと読めます。

文法化が進んだ語は、活用の網からも抜け落ちていきます。この接続詞には、その痕跡がいくつも見つかる。まず否定形を作れません。動詞であれば「ひるがえらなくて」という形が可能なはずですが、文頭のこの用法にその変形を許す余地はない。副詞で修飾することもできない。「旗が勢いよくひるがえって」は問題なく成り立つのに、論を折り返す用法に「勢いよく」を挟むと壊れます。時制も持ちません。過去の議論を受けている場面でも、「ひるがえっていた」とはならない。位置は文頭に固定されていて、文中や文末へ動かせば途端に読めなくなる。加えて、後ろに読点を要求します。動詞のテ形なら次の語へそのまま続けられるのに、この用法は一度切らないと落ち着かない。活用も修飾も語順の自由も失って、残ったのは、置かれる場所と後続の型だけです。

この語の書き言葉らしさには系譜があります。「翻って思うに」「翻って考えるに」といった言い回しは、「思うに」「察するに」「要するに」と同列の、漢文訓読に由来する論述の道具立てに連なるものです。明治の演説や社説はこの道具立ての上に築かれ、論を折り返すための身振りとしてこの接続詞を鍛えました。日常会話でまず使われないのはそのためで、話し言葉での同じ仕事は「逆に」や「でも」が引き受けています。書き言葉の、それも論じる文体にだけ生き残った語である。

類義の「一方」と比べると、性格の違いがはっきりします。「一方」は二つの事柄を静かに並べる語で、視点そのものは動きません。天秤の左右を順に指すような並置です。対してこちらは、いままで遠くを見ていた目が急に手元へ戻ってくる。海外の事例を論じたあとで自国を、他人を批評したあとで自分を顧みる——遠から近へ、外から内へという方向を持った反転です。だから距離の変わらない転換、たとえば単に隣町の話題へ移るだけの場面には、どこかなじみません。

同じ動詞を内に抱えながら、別の品詞へ流れた語もあります。「かえって」です。こちらは「返る」のテ形そのもので、現在は副詞として、予想と逆の結果が出たことを述べる。この語のほうも「返る」を含むとする説明が一般的ですが、着地した先は接続詞でした。片方は出来事の帰結が期待を裏切ったことを言い、もう片方は論じる者の視線が反対を向いたことを言う。裏返るという同じ像から出発して、裏返る当のものが入れ替わっている。前者では出来事が、後者では観察者が向きを変える。文法化の行き着く先は、原義だけでは決まらないということでしょう。どの位置に置かれて使われ続けたかが、最終的な品詞を決めています。片方は述語の直前に居座り、もう片方は文の先頭に立ち続けた。居場所の違いが、そのまま職能の違いになりました。

この方向性は、小説の地の文では諸刃の剣になります。視線を反転させる主体は、論説文なら書き手ですが、小説では語り手です。つまりこの接続詞を置いた瞬間、論じる者の存在が文面に浮上する。三人称の淡い語りには重すぎることが多く、逆に、評論家肌の一人称や講釈師めいた全知の語り手にはよく似合う。接続詞は論理の連結器であると同時に、語り手の身振りでもあります。どんな身振りの語り手なのかを先に決めてから、採否を決める語です。

文: hakadoru.ai 編集部

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