万一

【まんいち】接続詞

使い分けの視点

「万一」「万が一」は確率より、起きた場合の損失が大きいことを予告します。「仮に」は中立的な思考実験、「よしんば」は譲歩を強め、「もしかしたら」は可能性を柔らかく開きます。台詞の頭に置けば、話者が恐れるものの大きさを示せます。

同義語

同品詞の類義語

万が一
よしんば文芸的
仮に
もしもcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

万に一つ文芸的
ひょっとしてcolloquial
万一にも

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

縁起でもないが文芸的
万が一にでも
もしかしたらcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

期待値エッセイ関連

例文: 参謀は低い確率だけでなく被害を掛け合わせた期待値で避難を決めた。

一万分の一と書いて、損害の大きさを述べている

字面のとおりに受け取れば、一万分の一。小数で書けば〇・〇〇〇一です。同じように数を含む言い方を並べてみると、九分九厘が〇・九九、十中八九が〇・八から〇・九のあたり、五分五分が〇・五。これらを数直線に置くと、目盛りの入り方が偏っていることに気づきます。〇・五から一までのあいだには何段階も刻みがあるのに、〇・五より下はほとんど空白で、そのまま一気に一万分の一まで落ちる。日本語の数量表現は、高い確率の側を細かく、低い確率の側を粗く記述するようにできている。

そして実際の使用は、この数値とほとんど関係がありません。万一雨が降ったら、と言うとき、話し手が想定している降水の見込みは一万分の一ではないはずです。ではこの語は何を伝えているのか。手がかりは期待値の形にあります。ある事象の重みは、起きる確率と、起きたときの結果の大きさの積として測られる。片方がどれほど小さくても、もう片方が大きければ、積は無視できない値になります。保険という仕組みが成立するのはこの構造によるものです。この副詞は、積のうち確率の側を名指す形をしていながら、実際には結果の側の大きさを訴えている——数を言いながら、数でないものを指している。

保険をもう少し覗くと、同じ確率が立場によって別の意味を持つことが見えてきます。多数の独立な事象を集めれば、実際に起きた割合は理論上の確率へ近づいていく。大数の法則と呼ばれる性質で、引き受ける側はこれに頼って収支を設計します。ところが契約する側にとって、その出来事は生涯に一度あるかないかの単発です。同じ数値が、片方では平均として、もう片方では一回きりの賭けとして働く。この語が保険や規程の文面に馴染むのは、両方の立場をまたぐ場所に置かれる語だからでしょう。

積の話には、もう一段の補正が要ります。金額をそのまま重みとして扱うと、期待値が同じ選択肢はすべて等価になるはずですが、現実の人はそう振る舞いません。手持ちがすでに乏しいとき、そこから失う一万円は、余裕のあるときの一万円より重く効く。損失の重みが額に比例せず、加速して増える——この非線形を織り込んだ量を期待効用と呼びます。期待値では説明がつかない保険料の支払いも、この補正を入れると筋が通る。数の側から見ると割に合わない備えが、それでも合理でありうるわけです。

小さい確率そのものが扱いにくい、という事情もあります。ある事象が真にどのくらい稀なのかは、経験からは決めにくい。百回試して一度も起きなかったとしても、真の確率が百分の一なのか一万分の一なのかを、その観察だけで区別することはできません。稀であるほど、推定に必要な観察の回数が跳ね上がるからです。日常の判断で低確率の見積もりが頻度ではなく想像に依存してしまうのは、怠慢ではなく、情報の量からくる制約でもある。想像に依存する以上、その見積もりは、恐れの大きさに引きずられます。見積もりが恐れに引きずられること自体は、必ずしも誤りではありません。頻度の情報が足りない場面で、結果の重さを手がかりに判断するのは、期待値の構造からすればむしろ筋が通っている。困るのは、その判断の根拠を確率の言葉で述べてしまうときです。低い確率を口にした瞬間、聞き手はそれを数値の主張として受け取り、反論も数値で返そうとする。噛み合わない議論の多くは、この取り違えから始まります。

統語のふるまいも、この語が数値ではないことを裏づけます。単独で述語を修飾するのではなく、後ろに条件の節を要求する。万一彼が来たら、万一の場合には、という形でしか落ち着かず、条件を伴わない使い方は途中で切れた印象を与えます。つまり話し手は、文を言い終える前に、これから仮定の話をすると宣言していることになる。しかも仮定される内容は、望ましくない側にほぼ限られます。よい出来事にこの語を添えると、皮肉に聞こえるか、諦めの色を帯びる。数を含む他の副詞、たとえば十中八九が結論の側に付くのとは、置かれる位置からして違う。

だから、この二文字は予告として働きます。台詞の頭に置かれた時点で、話し手の頭の中ではすでに最悪の場面が組み立てられている、と読者に伝わる。確率の値としてはおよそ正確でないのに、心理の記述としては正確です。話者が述べているのは事象の起こりやすさではなく、それが起きた場合に自分が失うものの大きさだからで、そこだけは誇張されていない。数を持ち出しておきながら数の話をしていないという構造が、この語をむしろ信頼できる指標にしています。

文: hakadoru.ai 編集部

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