「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸である」。トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭は、訳文にいくつもの形がありますが、言っていることは変わりません。幸福は差異を消し、不幸は差異を生む。小説がこの語を手放せない理由の半分は、ここで説明がついてしまいます。似ているものからは筋書きが生まれない。似ていないものだけが、個別の名前と個別の経路を要求する。物語の駆動力を、価値判断ではなく分岐の多さとして捉え直した一文です。
筋の側から見ると、この語は状態ではなく落差の名になります。アリストテレスが『詩学』で悲劇の条件として挙げたのは、極端に有徳でも悪徳でもない人物が、みずからの過失によって幸福から不幸へ転じることでした。転落の前に幸福がなければ、悲劇は成立しない。境遇の悪さそのものではなく、二つの状態のあいだの距離が効くという設計です。この見方を借りると、最初から最後まで不遇な人物を書くことの難しさが説明できます。落差のないところに落差の語を置いても、読者には勾配が見えない。だから序盤のどこかで、いずれ失われる予定のものを一度だけ手渡しておく必要が出てきます。渡すものは大きくなくてかまいません。買ったばかりの靴でも、来週の約束でもいい。落差は絶対値ではなく、その人物にとっての高さで測られるからです。
日本の近代小説においては、境遇の不遇が説明の対象から描写の対象へ移っていったと言われます。それ以前の物語では、登場人物に降りかかる災いはしばしば因果のなかに位置づけられ、原因が語られることで意味を与えられていた。報いであれば納得できる。近代の散文はその説明を外していきます。理由のないものを、理由のないまま置く。読者は意味づけを受け取れないまま、細部だけを渡される。この転換が具体的に何年に起きたと線を引くことはできませんが、言文一致以後の小説を読み進めると、災いの語られ方が明らかに変わっていくのは感じ取れます。
一人称でこれを語る形式が根づいたことも、事情を複雑にしています。自分の身の上を語り手自身が語る散文は、大正期の日本でひとつの様式として論じられるほど広まりました。書き手と語り手と主人公が重なる形式では、境遇の名づけがそのまま自己申告になる。読者はその申告の妥当性を、書かれた細部と照らして検算しはじめます。語り手が総括を先に出してしまうと、以後の細部はすべて申告の裏づけとして読まれ、少しでも足りなければ誇張と受け取られる。逆に、細部だけを積んで名づけを控えた語りでは、読者の側が総括を代わりに引き受けます。近代の散文がこの語を遠ざけたのは、理由を外したからだけではないでしょう。名づける主体を作中へ引き入れたことのほうが、効いている。
この語には、もうひとつ扱いにくい性質があります。総括の語だということです。個々の出来事ではなく、境遇や生涯をひとまとめにして名づける。だから地の文では語り手の語彙になりやすく、人物自身が口にすると自己憐憫の色が乗る。人物に言わせるなら、直後に本人が打ち消すか、他者に訂正させるか、聞き手を黙らせるか——何らかの処理が要ります。処理なしに置かれた自己申告は、読者に人物への距離を作らせてしまう。
語彙の系統を並べると、選択肢の輪郭が見えます。漢語の系統には「薄幸」「悲運」があり、文語的な硬さを保ったまま境遇を名づける。和語寄りの「ふしあわせ」は音が長く、会話文に置いても浮きません。さらにこの語は「ご不幸があった」という葬儀の婉曲用法を持っていて、死の代名詞としての枝を別に伸ばしている。同じ二字が、生涯の総括と、口にしにくい事実の言い換えという、性質の違う二つの職務を兼ねている。会話でこの語を出すと、文脈によっては読者が一瞬だけ後者に接続してしまうことがある。
実務としては、総括語を出す位置が読者の姿勢を決めます。冒頭で「不幸な女だった」と書けば、以後の描写はすべてその宣言の証明作業として読まれる。読者は納得しに来るのであって、発見しに来るのではなくなる。逆に最後まで名づけず、干した洗濯物の枚数や、封を切らずに積まれた郵便物だけを書いていくこともできる。名づけを遅らせるほど読者の作業は増え、代わりに結論は読者自身のものになります。冒頭に置くか、末尾に置くか、一度も置かないか。三つの選択肢は、それぞれ別の小説の設計図です。