音楽のような

【おんがくのような】形容詞句

使い分けの視点

音楽の直喩は、旋律、拍、響き、呼吸など複数の次元を映せます。修飾される声や歩調に応じて似ている点を絞り、広い余韻が欲しいときだけ抽象度を残すと、賛辞の像がぼやけません。

同義語

同品詞の類義語

旋律めいた文芸的
歌うような
リズミカルなcolloquial
調べを帯びた文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

節回しのある
詠うがごとき文芸的
拍子を刻む

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

楽器を奏でるような文芸的
讃歌のような文芸的
詩を読むような

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

歌うように
韻律豊かに文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

メロディを帯びる
詠み上げる文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

歌声めいた響き文芸的
旋律性文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

耳を捉える詩のような文芸的
心をくすぐる調べの文芸的
魂を震わす旋律の文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

子守歌のようなエッセイ関連

例文: 子守歌のような低い朗読が、避難所の子どもたちから夜の緊張をほどいていった。

どの次元が写るのか——多義な直喩の設計図

「音楽のような声」と褒められて、歌がうまいという意味に受け取る人はまずいません。声の何か——抑揚か、響きの質か、間の取り方か——が音楽に似ている、と言われています。ところがその「何か」は文のどこにも書かれていません。直喩は、似ている点を明示しないまま二つのものを結ぶ省略の構文であり、省略された部分を聞き手がどう埋めるのかは、意味論が長く扱ってきた問題です。

埋め方の大枠はこう考えられています。「AのようなB」は、Aの持つ属性のうち顕著で、かつBに移せるものを選んで写します。問題は、何が顕著かがAのプロトタイプ——その語で真っ先に思い浮かぶ典型例——に依存することです。音楽の典型を歌謡曲に置く読者と、教会音楽に置く読者では、顕著な属性が違います。旋律のうねりを核とする人には流麗さが、拍の刻みを核とする人には規則性が写ります。「音楽のような文章」という一句が、読者Aの中ではうねる長文として、読者Bの中では刻む短文として像を結ぶことも、十分に起こりえます。

修飾される側の名詞は、この選択をある程度絞り込みます。声に付けば音高の変化が、歩き方に付けば反復と拍節が、会話に付けば応答のかけ合いが写りやすくなります。それでも一意には決まりません。比較のために「氷のような視線」を考えると、こちらはほぼ温度の次元一択で像を結びます。氷は顕著な属性が冷たさに集中した、いわば一次元的な源泉だからです。音楽は顕著な属性を複数持つ多次元的な源泉で、主要部の名詞が手がかりを与えても最後の一絞りが残ります。この直喩の解釈の幅の正体は、そこにあります。なお、同じ内容を「音楽的な声」と言い換えると、写像は形容動詞化した分だけ抽象へ寄り、旋律や拍という具体の像が薄れます。「のような」という連体修飾の形は、源泉を名詞のまま読者の前に置いておくところに働きがあります。

もう一つの特徴として、この直喩は評価の極性がほぼ固定されています。現実の音楽には不協和音も退屈な練習曲も含まれるのに、この比喩はほとんど常に賛辞として働きます。写像の源泉になるのがカテゴリー全体ではなく、調和し構成され快いものという典型だけだからです。語が特定の評価的文脈に偏って現れるこうした傾向は、コーパス言語学で意味的韻律と呼ばれることがあります。裏を返すと、だらだら続く会議を評するときのようにこの句を皮肉へ振り向けたい場合、極性を反転させる支えを文脈に明示的に置く必要があります。

幅があることは、弱点であると同時に機能です。埋める作業を読者に委ねる直喩は、各自が知っている一番美しい音楽で補完された、読者ごとに最適の像を結びます。ただし書き手が特定の像を必要とする場面では制御を失います。制御したければ、直後に絞り込みを置くか、源泉語を子守唄のような、行進曲のような、といった典型の狭い下位語に降ろすかです。似ている点を書かなければ広く響き、書けば深く刺さる。この一句を使うたびに、書き手は抽象度の設計を一つ行っているわけです。

文: hakadoru.ai 編集部

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