遥かなる昔

【はるかなるむかし】名詞句

使い分けの視点

「遥かなる昔」は、年数を示すより、語り手の尺度では目盛りを読めない過去を指します。「太古」「上古」は時代区分を硬く示し、霧や深淵の比喩は認識の届かなさを強めます。水平の距離、深さ、流れの比喩を一文で混ぜず、誰にとって遠いかを定めます。

同義語

同品詞の類義語

悠久の過去文芸的
気の遠くなる古代
太古文芸的
上古文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

悠久の時の彼方文芸的
歳月の深奥文芸的
歴史の彼方

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

果てしなく古い文芸的
深淵のような文芸的
霧の奥のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

歳月が無限に隔てていた文芸的
時が遠く積み重なっていた文芸的
歴史の奥に沈んでいた文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

気の遠くなる時の彼方文芸的
想像も及ばぬ古代文芸的
歴史以前の時代

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

目盛りの粗さエッセイ関連

例文: 年代を失った遺跡は、学者の目盛りの粗さを静かにあらわにした。

時間に距離はない——それでも遠いと言ってしまう理由

時間を語る語彙の多くは空間から借りてきたものだ、という説明はよく行われます。長い時間、短い間、前と後、遠い日。この表現の頭にある二文字も、もとは隔たりの大きさを言う語で、目で測れる距離のほうに属していました。ただ、この説明をそのまま受け取ると足をすくわれます。借りてきたのなら空間での使い方がそのまま移るはずですが、実際には移っていない。写像は、一対一からはほど遠い形をしています。

わかりやすいのが前後の逆転です。空間で前といえば進む方向を指すのに、時間で前といえば過ぎた側を指す。「先」に至っては同じ一字が両方を向いていて、この先といえば未来、先日といえば過去になります。矛盾しているのではなく、二つの異なる置き方が併存していると考えると整理がつく。自分が時間の上を歩いていくと置けば、まだ来ていないほうが前になる。時間の側が列をなして自分のところへ来ると置けば、先に着いたものが前になる。日本語はどちらも捨てないまま今日まで来ました。

借りている空間も、一種類ではありません。隔たりとして水平に測る言い方のほかに、深さとして垂直に測る言い方があり、さらに流れをさかのぼる言い方がある。古い層が下にあるという捉え方は、地層や堆積の経験に支えられていて、この場合の過去は遠いのではなく深い。遡ると言うときには、時間は川になり、過去は上流に置かれる。水平・垂直・流路の三つが同じ文章のなかに同居しても、読者はほとんど躓きません。比喩の体系は矛盾に対して寛容で、必要な面だけを取り出して使える。ただし三つを一文に詰めると急に破綻します。深く遠い上流、とは書けない。

写像が歪んでいることは、距離の測り方にも出ます。物理的な隔たりは、近かろうと遠かろうと同じ尺度で測れる。十メートルと十一メートルの差は、千メートルと千一メートルの差と同じ一メートルです。ところが過去の隔たりは、遠ざかるほど目盛りが粗くなる。昨日と一昨日は判別できるのに、二万年前と二万一千年前は同じ場所に見える——差の一千年は、目盛りの下に沈みます。この表現が指しているのは時点ではなく、目盛りが読めなくなった領域そのものだ。だから具体的な年数を書き込んだ瞬間に効き目が消える。数字は解像度を回復させてしまうので、遥かさと年号は同じ一文のなかで両立しません。

語形にも同じ働きがあります。現代語ならもっと短い連体形で足りるのに、文語の断定に由来する形をわざわざ選ぶ。語そのものが古いという事実が、指している時間の古さを補強するわけです。記号の形が指示対象の性質を真似る現象はいくつも知られていて、この選択もその一例と見ていい。ただし模倣は繰り返せば擦り切れる。古い語形を使うこと自体が定型になれば、古さの演出はただの様式になります。

そう考えると、この五文字が記述しているのは対象ではありません。対象を見ている側の、目盛りの粗さのほうです。語り手が長命な種族なら閾値は動くし、文字の記録を持たない共同体ならもっと手前に来る。歴史書を読み慣れた人物にとっての遥かさと、三代前までしか名を知らない人物にとっての遥かさは、同じ年数を指さない。誰にとって遥かなのかを決めずに置くと、この表現は何も測っていない目盛りになる。

文: hakadoru.ai 編集部

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