十九世紀末のフランスで、ロダンは大きな門扉の装飾群のなかに、裸の男が前かがみになって拳を顎に当てる像を置きました。のちに単独の作品として広く知られることになる青銅像です。日本語では「考える人」という題で流通していますが、原題の語は「思う人」と訳すこともできる。この像が明治後期以降の日本に紹介されたとき、思考という営みは、静止した身体の姿勢として国民的な図像を得ました。動詞のほうも、ほぼ同じ時期に仕事を変えていきます。
近代の日本語は、思考にまつわる語彙を短期間に大量に作りました。西周が philosophy に「哲学」の訳語を当てたことはよく知られていますが、同時期に定着した思想、理性、概念、判断、意識といった漢語も、多くは翻訳の必要から整備されたものです。注目したいのは、これだけ新語が入っても、和語の動詞のほうは置き換えられなかったことです。むしろ新造漢語を目的語として引き受ける役に回った。「哲学について考える」「概念を考える」。抽象名詞の在庫が一気に増えたぶん、それを受け止める汎用の動詞の負荷が上がった、という順序です。
頭の中にあるものを外へ出す場も、同じ時期に整えられました。福澤諭吉が speech の訳語として「演説」を広めたことはよく知られていますが、演説会や討論会が各地に立ち、人が壇上で自分の意見を述べる形式が定着していく過程は、思考の側にも跳ね返ったはずです。浮かんだままの状態では、そのまま提出できない。順序をつけ、削り、筋を通してはじめて人前に出せる。「考えをまとめる」という言い回しが自然に響くのは、まとめる前と後とを、日本語がはっきり別の状態として扱うようになったからでしょう。動詞の側は工程を指し、名詞化された形のほうは、その工程の成果物を指す。同じ語幹が両方を担っています。
制度の側からも圧がかかりました。学校制度が全国に行き渡り、机に向かって時間を区切り、問いに答える訓練が制度化されると、思考は測られる作業になります。よく考えなさい、という命令形が日常の語彙に入ってくる。ここで重要なのは、この命令が時間を要求している点です。即答は考えたことにならない、という了解が広まった。もともと結論に至る作用を指していた動詞が、結論の手前で費やされる時間そのものを指せるようになったのは、この段階だと考えられます。「考えている」という進行形が自然に成立するのは、その時間に社会的な居場所ができたからです。時間割も宿題も、机の前の一定量を確保しておくための装置として働きました。誰も中身を覗けないのに、長さだけは制度が割り当てられる。
この字が制度の語彙にどれだけ食い込んだかは、周辺の熟語を並べれば見当がつきます。学校の定期考査、勤め先の人事考課、応募者に対する選考、史料を突き合わせる考証。どれも、内面の作用ではなく、外から調べて等級をつける手続きのほうを指しています。和語の動詞が思考の時間を引き受けたのに対し、同じ字を含む漢語群は、査定と審査の側へ固まっていった。一つの字が、内側の作業と外側の判定とに分かれて配属されたわけです。本人以外には出来ばえを確かめようがないという事情と、それでも判定の仕組みだけは大量に用意されたという事情が、この語彙分布には両方とも写っています。
ところが、その時間は描写にとってきわめて扱いにくい。静止は絵にはなりますが、中身がありません。青銅像が万人に通じるのは、姿勢だけを示して内容を空欄にしているからです。近代小説は内的独白の技法を発達させ、その空欄を言葉で埋めようとしました。ただし実際の思考には、まだ言語になっていない層が含まれます。全部を独白で言語化すると人物は妙に理路整然とし、姿勢だけを書けば読者は何も受け取れない。腕組みと煙草と窓の外——手垢のついた小道具が繰り返し使われてきたのは、この二択のあいだで書き手が困ってきた証拠でもあります。
抜け道は、姿勢でも独白でもない第三の場所にあります。考えている最中の人物は、たいてい別のことに失敗している。湯呑みを持ったまま口をつけない、同じ行を三度読む、返事が半拍遅れる。思考そのものを描かず、思考に資源を取られた身体の別の部位を書く。制度が作ったこの動詞は、静止と時間という二つの属性を背負っていますが、書けるのはそのうち時間のほうだけです。時間は、他の動作が止まったり乱れたりする形でしか、外からは見えません。