考える

【かんがえる】動詞

使い分けの視点

「考える」は結論だけでなく、そこへ至る時間を広く担う。「熟慮」は十分な時間と慎重さ、「思案」は迷い、「検討」は選択肢を客観的に比べる作業に向く。姿勢や内的独白で埋めず、同じ行を読み返す、返事が遅れるなど、思考に資源を取られた別の動作を描く。

同義語

同品詞の類義語

熟慮する文芸的
思案する文芸的
検討する
瞑想する文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

頭をひねる
知恵を絞る
腕組みする

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

碁を打つような
糸を解くような文芸的
霧の中を歩くような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

じっくりと
深く
とくと文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

思索文芸的
熟慮文芸的
検討

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

唸る
頭を抱える
沈思する文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

他の動作に残る時間エッセイ関連

例文: 少女は推理を語らず、同じ頁を三度めくった。「他の動作に残る時間」が、まだ答えへ届かない思考を見せた。

前傾した青銅像から——制度が作った動詞

十九世紀末のフランスで、ロダンは大きな門扉の装飾群のなかに、裸の男が前かがみになって拳を顎に当てる像を置きました。のちに単独の作品として広く知られることになる青銅像です。日本語では「考える人」という題で流通していますが、原題の語は「思う人」と訳すこともできる。この像が明治後期以降の日本に紹介されたとき、思考という営みは、静止した身体の姿勢として国民的な図像を得ました。動詞のほうも、ほぼ同じ時期に仕事を変えていきます。

近代の日本語は、思考にまつわる語彙を短期間に大量に作りました。西周が philosophy に「哲学」の訳語を当てたことはよく知られていますが、同時期に定着した思想、理性、概念、判断、意識といった漢語も、多くは翻訳の必要から整備されたものです。注目したいのは、これだけ新語が入っても、和語の動詞のほうは置き換えられなかったことです。むしろ新造漢語を目的語として引き受ける役に回った。「哲学について考える」「概念を考える」。抽象名詞の在庫が一気に増えたぶん、それを受け止める汎用の動詞の負荷が上がった、という順序です。

頭の中にあるものを外へ出す場も、同じ時期に整えられました。福澤諭吉が speech の訳語として「演説」を広めたことはよく知られていますが、演説会や討論会が各地に立ち、人が壇上で自分の意見を述べる形式が定着していく過程は、思考の側にも跳ね返ったはずです。浮かんだままの状態では、そのまま提出できない。順序をつけ、削り、筋を通してはじめて人前に出せる。「考えをまとめる」という言い回しが自然に響くのは、まとめる前と後とを、日本語がはっきり別の状態として扱うようになったからでしょう。動詞の側は工程を指し、名詞化された形のほうは、その工程の成果物を指す。同じ語幹が両方を担っています。

制度の側からも圧がかかりました。学校制度が全国に行き渡り、机に向かって時間を区切り、問いに答える訓練が制度化されると、思考は測られる作業になります。よく考えなさい、という命令形が日常の語彙に入ってくる。ここで重要なのは、この命令が時間を要求している点です。即答は考えたことにならない、という了解が広まった。もともと結論に至る作用を指していた動詞が、結論の手前で費やされる時間そのものを指せるようになったのは、この段階だと考えられます。「考えている」という進行形が自然に成立するのは、その時間に社会的な居場所ができたからです。時間割も宿題も、机の前の一定量を確保しておくための装置として働きました。誰も中身を覗けないのに、長さだけは制度が割り当てられる。

この字が制度の語彙にどれだけ食い込んだかは、周辺の熟語を並べれば見当がつきます。学校の定期考査、勤め先の人事考課、応募者に対する選考、史料を突き合わせる考証。どれも、内面の作用ではなく、外から調べて等級をつける手続きのほうを指しています。和語の動詞が思考の時間を引き受けたのに対し、同じ字を含む漢語群は、査定と審査の側へ固まっていった。一つの字が、内側の作業と外側の判定とに分かれて配属されたわけです。本人以外には出来ばえを確かめようがないという事情と、それでも判定の仕組みだけは大量に用意されたという事情が、この語彙分布には両方とも写っています。

ところが、その時間は描写にとってきわめて扱いにくい。静止は絵にはなりますが、中身がありません。青銅像が万人に通じるのは、姿勢だけを示して内容を空欄にしているからです。近代小説は内的独白の技法を発達させ、その空欄を言葉で埋めようとしました。ただし実際の思考には、まだ言語になっていない層が含まれます。全部を独白で言語化すると人物は妙に理路整然とし、姿勢だけを書けば読者は何も受け取れない。腕組みと煙草と窓の外——手垢のついた小道具が繰り返し使われてきたのは、この二択のあいだで書き手が困ってきた証拠でもあります。

抜け道は、姿勢でも独白でもない第三の場所にあります。考えている最中の人物は、たいてい別のことに失敗している。湯呑みを持ったまま口をつけない、同じ行を三度読む、返事が半拍遅れる。思考そのものを描かず、思考に資源を取られた身体の別の部位を書く。制度が作ったこの動詞は、静止と時間という二つの属性を背負っていますが、書けるのはそのうち時間のほうだけです。時間は、他の動作が止まったり乱れたりする形でしか、外からは見えません。

文: hakadoru.ai 編集部

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