感じる

【かんじる】動詞

使い分けの視点

輪郭の曖昧な視線・気配・違和感を受ける便利な動詞ですが、多用すると体験が検出報告へ平板化します。山場では「痛みを感じた」を脈打つ痛みへ、「視線を感じた」を産毛の反応へ分解します。一方で基調となる高頻度語は残し、章や視点人物への偏りを点検します。

同義語

同品詞の類義語

覚える
抱く文芸的
受ける

類義句

同品詞の慣用的言い換え

胸に兆す文芸的
肌で知る
心に刺さる

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

風に触れるような文芸的
波が寄せるような文芸的
針で刺すような

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

ひしひしと文芸的
肌身に文芸的
どことなく

体言的言い換え

用言を体言に変換

感覚
実感
気配文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

胸に刻む文芸的
肌で受け止める
心が震える

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

検出の体験エッセイ関連

例文: 首筋の産毛が立つという検出の体験を書けば、見えない視線が読者にも届く。

検索窓が教える文体の地の色——高頻度動詞の数え方

長編をひとつ書き上げたら、原稿をエディタで開いて「感じ」で検索をかけてみると面白い結果が出ます。十万字の原稿なら、ヒット件数が三桁に届くこともあります。そんなに使った覚えはないのに——この驚きこそが、計量という方法の入口です。頻度の自己申告は、実際の頻度から系統的にずれる。よく使う語ほど使ったという記憶は残らず、空気のようになった語は、数えてはじめて姿を現します。

言語の使用には、少数の語が全体の大半を占めるという頑固な偏りがあります。語を頻度順に並べると、順位と頻度がおおむね反比例する——ジップの法則と呼ばれる経験則で、新聞でも小説でも、まとまった量のテキストならおよそ同じ形の分布が現れます。ごく少数の語が本文の大部分を埋め、残りの膨大な語彙が一、二回しか出ない長い裾野を作ります。知覚や心情を受け持つ動詞の中で、この動詞が上位の席に座るのは、守備範囲の広さゆえです。痛みも、視線も、季節の変わり目も、殺気も、この一語で受けられます。適用範囲の広さと頻度の高さは、計量的にはほとんど同じ現象の表と裏です。

共起、つまりどんな語と隣り合うかを調べると、輪郭はさらに細かくなります。この動詞の直前に来る名詞を自分の原稿で集計してみると、視線、気配、痛み、違和感といった、輪郭のさだかでない対象が上位に並ぶはずです。目の前の机を「机を感じる」とは書かないのに、「視線を感じる」は自然に書けます。はっきり見えるものは「見る」が引き受け、証拠の乏しい知覚だけがこの動詞に回されてくる構図です。つまりこの語の実質は「五感のどれとも断定できない検出」であり、隣接する語の統計は、辞書の語義説明より先にそのことを教えてくれます。

件数そのものより、分布を見ることを勧めます。三百件が全編にほぼ均等に散っているなら、それはその書き手の基調であって、慌てて削る必要は薄いでしょう。特定の章、特定の視点人物に偏っているなら話は別です。その人物の語りが「検出の報告」に傾いている兆候かもしれませんし、逆に、感覚の鋭さを人物の個性として書き分けた結果かもしれません。数字は診断まではしてくれません。どちらであるかを決めるのは読み直す目ですが、どこを読み直すべきかは、数字の方がよほど正確に教えてくれます。

減らすと決めたときの定石は、上位の共起から手をつけることです。「視線を感じた」を、うなじの産毛が立つ描写に置き換えます。「痛みを感じた」から後半の四文字を削り、痛みそのものの質感——鈍いのか、脈打つのか、熱いのか——を書きます。検出の報告を、検出の体験に変える作業です。ただし、全部は置き換えない。高頻度語は文体の地の色であり、地の色をすべて塗り替えれば、類語辞典を頭からなぞったような、密度ばかり高くて呼吸のない文章になります。基調は残して、山場だけ密度を変えます。計量が最終的に教えてくれるのは、削る場所ではなく残す場所です。

文: hakadoru.ai 編集部

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